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ふげん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

不還

anāgāmin अनागामिन् (S)

 不還は、旧訳では音写して「阿那含」(あなごん)という。もはや人間界にもどることなく、天界以上の階位に上って悟りに至る者のこと。四向四果の一つである。
 原始仏教では五下分結(下位の世界に結びつける五つの煩悩)を断じた者が得る位であったが、『倶舎論 』では、欲界の修惑(情的煩悩)をすべて断ち切ったため、もはや欲界に戻らずに悟りに至るとする。不還向(ふげんこう)とは,前段の一来果を得た者が、次の不還果を得ようとして残余の修惑三品を断ちつつある位のこと。


 小乗の聖者の4段階(四向四果預流一来不還阿羅漢)の第3段階。これら4段階は、おのおの、そこに至る途中と至り終えた段階とに分け、前者を向、後者を果といい、不還についていえば前者を不還向あるいは不還果向、後者を不還果という。
 不還果とは欲界の修惑のなかの第九品の惑を断じて欲界を超え出て、再び欲界に還ることがない゜゜はつねはん|般涅槃]]した聖者の位をいう。その般涅槃の仕方の相違によって次の五種に分かれる。

  1. 中般涅槃(antarā-parinirvāyin)  欲界で死んで色界に生ずるときにおいて、すなわち、中有生有との中間において般涅槃する者。
  2. 生般涅槃(upapadya-parinirvāyin) 色界に生じおわってまもなく般涅槃する者。
  3. 有行般涅槃(sa-abhisaṃskāra-parinirvāyin) 色界に生じおわって長い時間をかけて修行して般涅槃する者。
  4. 無行般涅槃(anabhisaṃskāra-parinirvāyin) 色界に生じおわって特別の修行をすることなく般涅槃する者。
  5. 上流般涅槃(ūrdhvaṃsrotas-parinirvāym)  欲界より没して色界の最初の天である梵衆天に生じ、梵衆天よりさらに上の天である梵輔天に生じ、以後、一段一段と上の天を経て、色界の最高天である色究竟天で、あるいは無色界の最高天である有頂天で般涅槃する者。これは雑修有漏無漏の定との2つをまじえて静慮を修する者)と不雑修(ただ無漏の定のみで静慮を修する者)との2者に分かれる。このなか前者の雑修の者とは、さらに全超と半超と遍残(一切処残)との3者に分かれ、最終的に色究竟天で般涅槃する者をいう。後者の不雑修の者とは、色界のを離れて色界より没して無色界に生じ、最終的に有頂天で般涅槃する者をいう。この無色界で般涅槃する者を前の色界で般涅槃する5種に加えて全部で6種の不還とする。さらにこの六種に現般涅槃(dṛṣṭa-dharma-parinirvāyin)すなわち欲界から没して色界・無色界に行かずに現在に住する欲界において般涅槃する者を加えて7種の不還とする。〔『倶舎』24、T29-124a以下〕

普賢

 華厳宗では、すべての言語思慮を絶した仏のさとりの世界即ち性海果分は、毘盧遮那仏の法門であるとするのに対して、衆生の機縁に応じて教えを説き起こした縁起因分は普賢菩薩の法門であるとする。普賢菩薩は一人格としての等覚位菩薩であるが、また理・定・行の象徴として諸仏の本源、諸法の体性であり、果に入れば性海と名づけられるべきものであるから、すべて普法を信じ、解し、行じ、証する者はみな、凡聖をえらばず普賢と名づけられるのであり、これら一乗普賢の大機がさとる境界を普賢の境界という。
 『華厳孔目章』巻4には三乗普賢・一乗普賢の2について人・解・行の三重を分けて6種の普賢とする。即ち三乗の普賢のうち、人と は『法華経』に説かれる普賢菩薩、解とは『法華経』に説かれる会三帰一などで一乗の正解に趣くこと、行とは『法華経』普賢品に明らかにする普賢の行をいい、一乗の普賢のうち、人とは『華厳経』入法界品に見える普賢菩薩、解とは『華厳経』普賢品の六十行門がみな普遍及び漸次十深で互いに入りこみあいとけあって不可思議であること、行とは『華厳経』離世間品の十種普賢心及び十種普賢願行の法をいうとする。
 また澄観の『華厳大疏鈔』巻1には、普賢を自体・諸位の普賢・当位の普賢・仏後の普賢・融摂の5義について解し、五種の普賢とする。
なお、普賢の行願とは、いわゆる十大願で、

  1. 常にすべての仏を敬い(礼敬諸仏)
  2. 常にすべての如来の徳をたたえ(称讃如来)
  3. 常にすべての仏に仕えて最上の供養をし(広修供養)
  4. 常に無始以来の悪業を懴悔して浄戒をたもち(懴悔業障)
  5. 常に仏・菩薩から六趣四生に至るまでのあらゆる功徳を随喜し(随喜功徳)
  6. 常にすべての仏に教えを説くことを要請し(請転法輪)
  7. 涅槃に入ろうとする仏・菩薩などに対してはこの世にとどまることを常に請い(請仏住世)
  8. 常に毘盧遮那仏に随ってその仏が教化のために示す相をことごとく学びとり(常随仏学)
  9. すべての衆生の種別に応じて種々につかえ、種々に供養してめぐみ(恒順衆生)
  10. 以上のようなあらゆる功徳を一切の衆生にさしむけて、ことごとくが仏果を完成することを願う(普皆廻向)

という10を念々に相続してきわまることがないのをいい、菩薩がこの行願を実践すれば普賢菩薩の諸々の行願海を完成することができ、人が深信の心をもってこの大願を受持し、読誦しあるいは書写すれば種々な功徳を得るとされる(『華厳経』普賢行願品)。

普賢菩薩

Samantabhadra-caryā (S) 原意:「あまねく祝福された」、意訳:「遍吉」

 実行と意思とが特徴の菩薩。願を立ててそれをあくまで実行するとされ、『華厳経』において重大な役割を果たす。白象に乗った姿が知られている。
 慈悲のきわまりをあらわす。普賢は文殊とともに釈迦牟尼仏の脇侍の菩薩。『華厳経』には普賢の十大願が説かれ。その慈悲行が強調されている。

 文殊菩薩と普賢菩薩とは、観音菩薩とは異なって、純粋に仏教内部から誕生した菩薩と考えられている。

誓願

Samantabhadra-praṇidhāna (S)

 普賢菩薩の10の誓願とその行。

  1. すべての諸仏に対する帰依
  2. すべての諸仏に対する讃嘆
  3. すべての諸仏に対する供養
  4. すべての衆生の誤った行いの懺悔
  5. 他の衆生の成就を喜ぶこと
  6. ダルマを説くように仏に求めること
  7. 世に留まるように仏に求めること
  8. 仏の教えに常に専念すること
  9. 全ての衆生をそれぞれにふさわしく利すること
  10. 自身の功徳(福)をすべての衆生にめぐらすこと

普賢の行

 「Samantabhadra-caryā」の訳であるが、漢文では「普賢の徳」となっている。

 特に『華厳経』に説かれていることであり、生きとし生けるものに奉仕する実践のことである。その理想が普賢菩薩のすがたとして象徴的に現わされている。