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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(不定)
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 (世間のきまりや約束事として)確定していないこと。
 
 (世間のきまりや約束事として)確定していないこと。
:諸の楽の因は皆な不定なり。謂く、諸のあらゆる衣服・飲食・冷媛などの事は諸の有情類は許して楽の因と為すも、此れ、若し非時にして過量に受用すれば、便ち能く苦を生ずるなり
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:諸の楽の因は皆な不定なり。謂く、諸のあらゆる衣服・飲食・冷煖などの事は諸の有情類は許して楽の因と為すも、此れ、若し非時にして過量に受用すれば、便ち能く苦を生ずるなり
  
 
===唯識===
 
===唯識===

2017年8月30日 (水) 07:42時点における版

不定

aniyataaniyama (S)

 定まっていない、決定していないこと。

是の如く衆生は曽て我が母と為り、我れも亦た長夜に曽て彼の母と為り、是の如く衆生は曽て我が父と為り、我れも亦た長夜に曽て彼の父と為る。是の如く生は不定なり
父母などの不定とは、先に父母乃至親属と為り、後時に輪転反して怨害及び悪知識と作るを謂う
決定に於て立てて不定と為す。一切の行は皆な是れ無常なるに、妄りに一分は是れ常、一分は無常なりと建立するが如し
六根の中、眼などの前の五は唯だ現在の境を取るも、意の境は不定なり。三世と無為とを取るが故なり

asamāhita (S)

 (心が)定まっていないこと、安定していないこと、禅定に入っていないこと。→不定心

avyavasthāna (S)

 (世間のきまりや約束事として)確定していないこと。

諸の楽の因は皆な不定なり。謂く、諸のあらゆる衣服・飲食・冷煖などの事は諸の有情類は許して楽の因と為すも、此れ、若し非時にして過量に受用すれば、便ち能く苦を生ずるなり

唯識

 唯識において心所を六つの群(遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定)に分けるなかの一群をいう。悔・眠・尋・伺の四つの心所をいう。この四つの心所は
(i)善・不善・無記の三性のいずれであるか
(ⅱ)欲界・色界・無色界の三界のいずれにおいて起こるか
(ⅲ)どの識と相応するか
の三点においていずれも決定していないから不定という。これら4つをまとめて不定位ともいう。〔成唯識論7 T31-35c〕

戒律

 戒律の用語で、不定法二条は、比丘が女性と人のいない場所に坐していた場合の罪である。

  1. 屏処不定  屏処とは部屋の中などのように、他から隠れた場所の場合である。婬も行いうるし、触女人、麁悪語などの僧残罪にもなりうる場所である。この場合には、発見者の証言によって、波羅夷か僧残のどれかの罪が決まる。
  2. 露処不定  広場などで可婬処ではないが、麁悪語などの僧残は犯しうる場所である。しかし単に露処に女人と坐しているだけならば、波逸提罪になる。この場合も発見者の証言によって、僧残か波逸提かが決められる。女人と無人処に坐していることは、それだけで戒律を破る意志があるわけであるので、本人比丘の申し立てよりも、発見者の証言が重んぜられる。そのために、坐しているということだけでは、罪が決まらないので「不定」という。

不浄

aśubha (S)、asubha (P)

 不浄なもの、気持ち悪いもの。瞑想の実践という文脈では、死体が腐敗する経過を10段階に分けて観察することにより肉体に対する情欲や執若心を取り除くために設けられた、10の瞑想対象を指す。