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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
(法蔵菩薩)
 
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dharmakaara धर्मकार (skt.)
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<big>Dharmākara</big> धर्माकर (skt.)
  
 
 [[あみだ|阿弥陀]]仏の修行時代の[[ぼさつ|菩薩]]のときの名前である。<br>
 
 [[あみだ|阿弥陀]]仏の修行時代の[[ぼさつ|菩薩]]のときの名前である。<br>
 「dharma」は「法」、「aakara」は「amine」という意味であるから「蔵」と漢訳されて「法蔵」となった。
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 「dharma」は「法」、「ākara」は「a mine」という意味であるから「蔵」と漢訳されて「法蔵」となった。この「ākara」には、鉱脈、鉱山と言う意味もあるので、存在の根幹を成すものを伏蔵しているという意味も持っているのではないかと思われる。このことから、単に仏法を蔵した菩薩とだけ考えるのではなく、'''存在そのものの根幹を内に収め持っている菩薩'''という意味と解釈される。
  
 
 もとは王であったが、師仏である「[[せじざいおう|世自在王]]仏([[にょうおう|饒王]]仏)」の下で出家して、210億の他の仏の世界を覩見して、四十八願を建てて修行を行い、ついに阿弥陀仏となった。
 
 もとは王であったが、師仏である「[[せじざいおう|世自在王]]仏([[にょうおう|饒王]]仏)」の下で出家して、210億の他の仏の世界を覩見して、四十八願を建てて修行を行い、ついに阿弥陀仏となった。

2020年6月3日 (水) 08:52時点における最新版

法蔵菩薩

Dharmākara धर्माकर (skt.)

 阿弥陀仏の修行時代の菩薩のときの名前である。
 「dharma」は「法」、「ākara」は「a mine」という意味であるから「蔵」と漢訳されて「法蔵」となった。この「ākara」には、鉱脈、鉱山と言う意味もあるので、存在の根幹を成すものを伏蔵しているという意味も持っているのではないかと思われる。このことから、単に仏法を蔵した菩薩とだけ考えるのではなく、存在そのものの根幹を内に収め持っている菩薩という意味と解釈される。

 もとは王であったが、師仏である「世自在王仏(饒王仏)」の下で出家して、210億の他の仏の世界を覩見して、四十八願を建てて修行を行い、ついに阿弥陀仏となった。