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みょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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nāman नामन्, nāma नाम

 よく音声に随って物体に赴き、これによって体を詮わして、人に想を起こさせるもの。名を聞けば必ずその物体の相を心に浮かべることができるからである。

 名 謂く、想を作すなり     〔倶舎論5〕

 言葉。名称。呼び名。

我という名(abhidhāna)は唯だ蘊の相続を召し、別に我の体を目するに非ず。
是の如き位に於て成就の名(ākhyā)を立つ。
正見・正思惟・正勤は慧性にあらざると雖も慧に随順するが故に亦た慧の名(śabda)を得る。
色などに於て極微の名(saṃjñā)を立つ。

 名・句・文の名。なんらかの意味をもつ最小単位の名詞。具体的に音声となって表出される言葉と区別され、物でも心でもないもの(色心不相応行)に含まれる。具体的な音声となる以前の概念。種類としては、さまざまな分類法が説かれる。たとえば仮立名・実事名・同類相応名・異類相応名・随徳名・仮説名・同所了名・非同所了名・顕名・不顕名・略名・広名の12種が説かれる〔『瑜伽』81、T30-750a〕。

 名、謂、作想。如説色声香味等想。〔『倶舎』5,T29-29a〕
 問、名是何義。答、能令種種共所了知故、名為名。又能令意作種種相故、名為名。又由語言之所呼召故、名為名。〔『瑜伽』81、T30-750b〕
 名詮自性、句詮差別、文即是字、為二所依。〔『成論』2、T31-6b〕

 名色の名。色が物的・物質的なものをいうのに対して、名は心的・精神的なものをいい、五蘊でいえば、色蘊が色、他の四蘊 (受・想・行・識)が名である。

 無色四蘊、何故称名。随所立名根境勢力、於義転変故、説為名。〔『倶舎』10、T29-52a〕
 問、何縁四無色蘊総説名名。答、順趣種種所縁境義、依言説名、分別種種所縁境義故、説為名。〔『瑜伽』56、大正30-608c〕

jīvita जीवित

 命根に同じ。いのち。生命。

 諸の菩薩は自身の命を捨てて諸の衆生に施す。

 生活。生計・生存の方法。活命とおなじ。

 諸の菩薩は矯詐などの一切の能く邪しまな命を起こす法を離る。

prāṇa
 生命力。活力。気力。

 已に諦を見た者は証浄を得るに由って、命を挙て自ら要ず正法に於て深く愛重を懐くことを表す。
 猶し世間に、命と牛などに於て次の如く、是れ食と草の所成なりと説くが如し。

智慧

 智慧の別名。悟りの智慧。

法を知ること顕了なるが故に、名を明となす     〔大乗義章14〕

真言

 真言の別名  真言は、よく煩悩の闇を破するから明という。また、口で説くから真言といい、身体から現れるときには明という。


 無知の別名。無知に二つある。

  1. 染汚無知
  2. 不染汚無知
諸々の無知、よく実義を覆い、及び真見を障るをもっての故に、冥となす。     〔倶舎論1〕