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ようもん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

要門

〔真門〕〔弘願門〕
 善導観経疏玄義分

娑婆の化主、その請に因るが故に即ち広く浄土の要門を開き、安楽の能人、別意の弘願を顕彰す

とあるのに基づく語。ここで娑婆の化主とは釈迦仏を指し、安楽の能人(能化人の意)とは阿弥陀仏を指す。要門とは浄土に生まれるために肝要な道の意で、『観無量寿経』に説いてある十六観の定散の諸行をいい、弘願とはすべてのものを救って浄土に生まれさせる阿弥陀仏の本願をいう〈cf.二尊〉。
 源空門下ではその関係を下のように解する。
① 浄土宗では要門を凡夫の修める念仏および諸行のこととして往生の内因と解し、弘願を阿弥陀仏の救済力、即ち往生の外縁と見る。
② 浄土宗西山派では行門・観門・弘願門の三門を立てて要門を観門、弘願を弘願門と見る〔観門・弘願門〕。
③ 真宗では要門と弘願の二門でいうときは、要門は方便であって釈迦教を指し、弘願は真実であって弥陀教を指す。また要門・真門・弘願の三門を立てて、浄土教における真実と方便をあらわす。即ち念仏以外の諸行によって往生しようとする立場を要門、自分のとなえる念仏をたのみにして往生しようとする立場を真門、他力念仏の信心によって往生させられる立場を弘願といい、前の二門が方便である。なお真門は教頓機漸といわれ、教えの側からは他力であるが、それを行う人の側からは自力であるとする(『教行信証』化身土巻)。(cf. 三三法門