「惑」は煩悩の異訳語。貪着・瞋恚・無知などの煩悩に基づく業・行為を「惑業」といい、その業により三界を生死流転する苦がもたらされると考えられた。この惑と業と苦との三つは衆生が輪廻する次第を示したもので「三道」とも呼ばれる。 また「惑業事(じ)」「惑業生(しょう)」ともいう。