わく
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
惑
kleśa (S)
迷妄の心。所対の境に迷って、事理を顛倒することを「惑」と言う。
まどわすもの。迷い、また迷いのもとになるもの。対象に迷い、まどわされ、事理を正しく認識することが出来ない迷妄の心をいい、煩悩と同じ。「惑」によって悪業が生じ、その悪業が因となって苦果を生じる輪廻のあり方を「惑業苦」または「三道」という。
阿毘達磨の教義では、惑は見惑と修惑(思惑ともいう)の二つに大別され、見惑は見道で、修惑は修道で断ぜられるとする。
能惑所縁。故稱爲惑。よく所縁に惑う故に、称して惑となす。 〔大乗義章5本 T44-561c〕
惑と業とを因と為すが故に生あり。生を復た因と為して惑と業を起こし、此の惑と業とに従って更に復た生あり。 〔倶舎論9〕
生死相続するは惑と業と苦に由る。業を発し生を潤する煩悩を惑と名づく。 〔成唯識論8〕