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さんがん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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三観

 天台止観の基本となる観法で、瓔珞本業経(ようらくほんごうきょう)の語に基づいた従仮入空観・従空入仮観・中道正観をいう。

 常識的思慮分別により真実とされるものは仏教の真実からすると仮(かり)のものであるという観点から、仮から空に入る、すなわちすべての存在は空であるとする空観、本質的には実体のない空であるが縁起によって存在している現実に眼を向ける仮観、空観と仮観を止揚して不二とする中観をいったもので、空仮中(くうげちゅう)・(くげちゅう)三観という。

天台の三観説

 この三観は智顗自らその根拠を蔵・通・別・円の四教といい、また四教は三観に基づくというように、互いに関連し合って天台教義を構成する。空観は三蔵教と通教に配され、見思惑(イデオロギー的・本能的煩悩)を破する析空観・体空観といい、塵沙惑(名称もない無数の煩悩)を破する仮観と無明惑(根本煩悩)を破する中観が別教と円教に配される。三観を順次に観ずるのを「次第三観(しだいさんがん)」といい、一念のうちに空仮中が融け合って観ずることを一心三観・即空即仮即中の観という。


その他の三観説

 なお、華厳の三観とは、一心法界(ほっかい)を観ずる高下により、四法界観のうち理法界観を真空観、理事無礙法界観を理事無礙観、事事無礙法界観を周(彳+扁)含容観とし、「法界三観」という(四法界)。
 また、南山律の三観は、性空観を二乗の観法、相空観を小乗菩薩の観法、唯識観を大乗菩薩の観法とする。

 我が身の内に三諦即一、三観一心の月曇りなく澄みけるを    〔身延山御書〕

三願

 3種の願。

 阿弥陀仏の四十八願を摂法身(しょうほっしん)願と摂浄土願と摂衆生願との三つに分類したもの。
 また、阿弥陀仏の四十八願のうちの第十八願、第十九願、第二十願の三つをさす。これらは阿弥陀仏の浄土に生れる因を誓ったもの。第十八願(至心信楽(ししんしんぎょう)の願)は他力の信を往生の正因とし、第十九願(至心発願(ほつがん)の願)は自己の修行による往生を、第二十願(至心廻向(えこう)の願)は念仏を自力の行とする者の往生を誓ったもの。

 今的(ひと)しく三願を取りて、用ひて義の意(こころ)を証せむ    〔教行信証(行)〕