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だいいちぎくう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2020年5月20日 (水) 11:46時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (第一義空)

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第一義空

parman ārtha-śūnyatā, parmārtha-śūnyatā (S)

 第一義空は空真如。真如には空真如と不空真如の2面がある。

 空真如とは、真如においては煩悩であるという意味。不空真如とは、真如には成佛の無量の功徳が具っていることをいう。

 凡夫は空真如に達しないから、自己に煩悩があると見る。しかし煩悩が「有る」と見るのは迷いの立場である。本来は、煩悩は実体のないものである。
 たとえば、騙されている限りは、騙されている内容が真実であると思っている。騙されている内容が心理的には実有である。しかし騙されていることに気がつけば、その刹那にその内容は消失する。迷っている限りは、煩悩は実在し、それによって苦しむが、迷いを離れれば、煩悩は消失し苦から解脱する。
 もし煩悩に実体があれば、苦からの解脱は不可能になる。その意味で煩悩は「有」であると共に「無」である。その点を「第一義空は真妄を該ねて寥寥たり」と表現した。真妄は、真如と妄法(煩悩)のことであり、第一義空においては両者の差別はなくなり、寂静である。寥寥とは空寂を示す。