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どうり

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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道理

yukti (skt)

 事物のすじみち。事物を貫いている法則。あらゆる事物が存在し、変化していくにあたって必ず依準されるきまり、法則をいう。ことわり。正しい理論。生滅変化する一切万有をつらぬいている法則。

 解深密経<T16-686b>では、特に観待・作用・誠成・法爾の4種の道理が説かれる。 瑜伽師地論 vol.40 <T30-511b>でも、4種の道理が説かれている。

  1. 観特道理  相待道理とも言い、真と俗のように相待的に考えられる道理。
  2. 作用道理  因果関係によって存在する作用についての道理。
  3. 証成道理  成就道理とも言い、論証によって証明される道理。
  4. 法爾道理  法然道理とも言い、火に熱があるように、あるがままのすがたで不変の本性を完成しているという道理。

中国文化上の道理

 『荀子』(修身)、『韓非子』(解老)、『荘子』(天下)、『戦国策』(秦策)、『淮南子』(主術訓)などに用例が見える。  道理とは本来「道」をより強く「理」として意識した概念であると思われ、「理」の語はやはり戦国後期の『荘子』(外篇・雑篇)、『荀子』,『韓非子』などに多く見える。
 「」が普遍的な根源をいう概念であるのに対し、「」は個物化の原理としての性格を色濃く持つ概念である。

 戦国後期から漢代にかけて、道と理の関係を規定し、理が個物化・特殊化の原理であることがしだいに明確になっていくが、「道理」はこうした「理」の観念が深められるなかで現れてきた概念である。