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なんぽうぶっきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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南方仏教

 仏教がインドから西域・中国・朝鮮半島・日本など、北へ伝わったのを北方仏教とか北伝仏教というに対し、南のスリランカから、さらにビルマ・タイ・カンボジア・ラオスなどに伝わった仏教を南方仏教ないし南伝仏教という。北方には部派仏教(ないし小乗仏教)も伝えられたが、大乗仏教や密教が主流をなす。南方へは一部大乗仏教ないし密教も伝えられたが、主流をなすのは上座仏教(Theravāda Buddhism)である。
 紀元前3世紀アショーカ王時代に、マヒンダ(Mahinda)の一行がスリランカに仏教を伝えたのが、初伝とされる。時の王デーヴァーナムピヤ・ティッサ(Devānampiyatissa)王はじめ歴代の国王は、厚く仏教を保護した。スリランカの仏教は、やがて3派に分かれるが、大寺(Mahāvihāra)派の伝統が正統説とみなされて、今日に栄える。その特徴は、パーリ語をもって聖典用語とし、戒定慧の三学を教学の根幹におき、三衣一鉢の生活方針を尊重し、瞑想を実践して涅槃を得ることをめざす。
 5世紀に出たブッダゴーサ(Buddhaghosa,仏音)は、主著『清浄道論(Visuddhimagga)』とパーリ語三蔵に対する膨大な注釈書群を著わして、南方上座部の教義の根幹を確立した。ビルマやタイなどの仏教は、スリランカから伝えられたものである。スリランカの仏教はいくたびかその伝統がとだえたが、そのつどビルマ・タイから逆輸入して、その伝統を保持している。

展開

 南方仏教は、南アジア・東南アジアに伝わり、いわばパーリ仏教文化圏を形成している。そこにはパーリ仏教徒が多数を形成する地域としてスリランカ・タイ・ビルマがあり、少数民族をなす地域としてインド・バングラデシュ・マレーシア・シンガポール・インドネシアなどがある。
 ビルマで上座仏教が国家的に公認されるのは1058年で、ビルマ全域を統一した最初の王、パガン王朝のアノウラータ(Anawrāta)による。しかしすでに4~5世紀以来仏教はビルマに伝わっており、8~9世紀には大小乗がならび行なわれていた。
 またタイでは、アユタヤ王朝のシリ・スーリヤヴァンサ・ラーマ(Siri Sūriyavaṃsa Rāma)王が、1361年にスリランカ上座部大寺派の法燈を国家的宗教として迎えた。しかしタイの地域には、かつてクメール民族が栄え、5~15世紀にわたってヒンドゥー教と混淆したクメール仏教が行なわれていた。カンボジアやラオスは、その流れをくむが、タイの影響で、上座仏教に転向せしめられた。ただし今日では共産圏に組みこまれて、仏教は壊滅状態となっている。タイでは国王をはじめ国民の90数パーセントが仏教徒であり、国民皆僧と托鉢の習慣で知られる。僧伽はタンマユット派とマハーニカーイ派の2派に分かれるが、少数でもタンマユット派が実権を握っている。ビノレマも国民の90パーセントが仏教徒で、1956年第6回の結集と三蔵・注釈書の大出版を完成した。しかし、社会主義的軍事政権のもと、活気を失っている。また,僧伽の政治的統制が強まっている。
 インドでは大菩提会(Maha Bodhi Society)が大きな功績をあげ、また新仏教徒が活躍している。バングラデシュではチッタゴンとダッカを中心とし、インドネシアではジャワ島を中心に、またマレーシア(やシンガポール)など、イスラーム教の勢力圏のもとにおける、上座仏教の存在と活躍が注目される。
 さらに最近は、英・独・仏のヨーロッパからアメリカにまで、上座仏教の進出が見られる。