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うてん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

ホータンから転送)

于闐

 中央アジアの東トルキスタン地方、タリム盆地にあるオアシス都市。中国では于闐(うてん)という。現在は新疆ウイグル自治区の一都市。かつてはシルクロードにあって最も栄えた都市の一つで、玉の産地として知られていた。

後漢の班超と于闐

 紀元前後から、タリム盆地一帯は匈奴の支配を受けていたが、前漢の時代に張騫の遠征などで漢の勢力が及んできて、西域としてその支配に組み込まれるようになった。王莽の時代には西域諸国が離反したため、ふたたび匈奴が進出、それに対して後漢時代に再び西域での匈奴との抗争が激しくなった。  西域諸国の中では、1世紀の後漢の明帝の頃には于闐国が強大となり、西の莎車(さしゃ)国を滅ぼし、天山南路の十三国を服属させた。しかし、于闐国も他の西域諸国と同じく、匈奴(北匈奴)の勢力下にあった。73年、後漢の班超は匈奴制圧を命じられて派遣され、まず鄯善で匈奴の使者を殺害し、さらに于闐国に乗り込んで、于闐王を脅迫して同様に北匈奴の使者を殺させ、後漢に服属させた。こうして後漢時代に天山南路の西域交通路が再開された。<西嶋定生『秦漢帝国』1997 講談社学術文庫 p.486-488>

唐代の于闐

 于闐国(ホータン王国)は後漢に従属したが、1世紀心から仏教を保護した仏教王国であった。後漢との交易路が再開されたことによって、仏教も中国に伝えられる。この地が東西の交易に留まらず文化交流でも重要な役割を果たしたのは、唐の時代でも同じであった。  中国に唐王朝が成立すると、この地はそのその支配下に入り、シルクロード沿いの東西交易の中継地として栄えた。  しかし、11世紀ごろからトルコ系のウイグル人が定住するようになり、いわゆるトルコ化が進み、イスラーム教が浸透して文化的な環境は大きく変化することとなった。

Episode 盗まれた種子

 (引用)シルク製造の技法が中国からいかにして流出したかについては、さまざまな伝説がある。シルクロードの枝道沿い(現在の中国)にあった古代仏教王国ホータンの王にかんするもっともよく知られた逸話によると、王は東方の花嫁を迎えることを望んでいた。そして花嫁となる娘にホータン王国にはシルクもクワの木もないことを伝えた。王国の花嫁は、カイコやクワの種子を持ち去ってはならないという掟にそむき、頭飾りの中にカイコと種子を隠して国境を越えたという。<ビル・ローズ/柴田譲治訳『図説世界史を変えた50に植物』2012 原書房 p.131>


ホータン(和田)Hotan

 中国西北地方,シンチャン(新疆)ウイグル(維吾爾)自治区南部の地区。行政中心地のあるホータン県やニヤ(民豊)、ケリヤ(于田)などの7県から成る。南部はクンルン(崑崙)山脈、北部はタクラマカン(塔克拉瑪干)砂漠が占め、主要な町は山麓のオアシスに沿って東西に連なる。

 古くは中国と西アジアを結ぶ西域南道が通り、都市国家が栄えた地域で、古い歴史をもった町があり、遺跡も多い。
 北流する河川に沿ってオアシスの拡張が進められており、トウモロコシ、コムギを栽培し、養蚕が盛んである。伝統的な絹織物、絨毯、軟玉、玉器を産し、ホータン県には近代的な工場もある。

東トルキスタンのタリム盆地に位置するオアシス都市。仏教王国をつくった。