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もうこだいぞうきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

蒙古大蔵経

モンゴル大蔵経にもある。

 蒙古語(モンゴル語)で書かれた仏教文献集成(大蔵経)。
 元朝の成宗フビライ・ハンは仏教を保護し、サキャ・パンディタの甥パスパ phags paを帝師として彼に新しい蒙古文字(八思巴(パスパ)文字、方形文字)をつくらせ、仏典の翻訳もチベット語から行ったことが知られる。しかし、現存しない。武宗ハイシャン・ハンの勅命によってサキャ派のチュクオエセル chos sku od gsal が1310年に仏説部(甘殊爾<かんじゅる>)の大部分と論疏部(丹殊爾<てんじゅる>)の一部分の翻訳をサンスクリット、チベット、ウイグル、中国の諸語に通じた諸学者の協力で完成させた。これを、『古訳蒙古大蔵経』と呼んでいる。これは大部分が散逸し今日その全容は知りえない。

 その後に多くのチベット人翻訳僧がモンゴルに招かれて断続的に訳業は続けられた。とくにリンダン・ハン(在位1603~27)の代のクンガー・オエセル kun dga od gsal によりほぼそれまでの欠落が補われ、旧訳大蔵経はいちおうの完成をみた。

 清<しん>朝の聖祖康煕帝(在位1661~1722)の治世時には多数のチベット人、モンゴル人僧侶を動員して国家的事業として新訳が試みられ、さらに高僧チャンキャ・ロルペエドルジェ lca skya rol pai rdo rje に帰依した高宗乾隆帝(在位1736~95)の勅命により改訳と新規の翻訳、木版印刷が大規模に行われた。
 1650年から1911年の清朝滅亡までの261年間に開版・印行された蒙古語の仏典は、甘殊爾108巻、丹殊爾226巻、大蔵経以外220巻の計554巻に上る。蒙古大蔵経はチベット大蔵経を底本としているが、両者に出入・増減の差異があることや、蒙古語訳のほうがサンスクリット文や漢訳に一致することもあって、さらに今後の精査が必要とされている。

参考文献

モンゴルにおけるチベット仏教受容の一形態 —モンゴル語訳『菩提道次第大論』と『正字法・賢者の源』を中心として—
国際文化専攻 ARILDII BURMAA [1]


チベットにおける大蔵経(カンギュル・テンギュル)開版の歴史概説 [2]


モンゴル国立図書館における図書のデジタル化 [3]