比叡山延暦寺の住持にして一門を統理する公職なり。 天長元年義眞和尚をもって初て之に補す。中国の天台山修禅寺の座主に傚ったものである。一宗の学徳をもって之に任ずる。 第25世の明技僧正は醍醐帝の皇孫、兵部卿有明親王の5男である。これから皇族あるいは摂録にないので座主ではない。明治4年この制度は廃止され、同17年請によって私請を許されたものである。