あしゅらきん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
移動先: 案内検索

阿修羅琴

 「阿修羅道の琴」として、論釈の中でよく引用される。つまり、阿修羅の福徳によって、琴の音を聴こうと思うと、誰も琴を弾かないのに聞く者の心のまゝに妙音を奏でるといわれる。龍樹は『大智度論』巻17に、法身菩薩衆生に対する教化が自在であることをたとえて、この阿修羅琴を述べている。

法身の菩薩は無量の身を変化して衆生のために法を説く。しかも菩薩は心に分別することなきは、阿修羅の琴の常に自ら声を出だし、意に随って作し、人の弾ずるもののなきが如し。此もまた敬心なく、摂心もなし。是れ福徳の報より生ずるが故に、人の意に随って声を出す。法身の菩薩も、また是の如し。    〔T25, p.188c〕

 また、このような例は、曇鸞の『往生論註』下の「利行満足章」に

本願力というのは、上位の菩薩が、そのさとりの中において、つねに禅定にあって、いろいろの身、いろいろの神通、いろいろの説法を現わす。これはみな、この土における信心の中にそなわる利他回向の徳からするのである。たとえば阿修羅の琴は弾ずる者がなくても、自然に音曲の出るようなものである。これを第五の教化地の功徳相と名づける。    〔七祖註釈版 p.116〕

と示している。