有業
bhava भव (S)
『仏所行讃』で、十二因縁の「有」を、曇無讖は「有業」と訳している。おそらくは「生きている行為」という意味で、有業と訳したのであろう。
「有」を「有業」と曇無讖が訳したのは、おそらく生存は行為を伴うからであり、行為がないということは生存ではないと看破したからであろう。
- 「生は何を因となすか」を観じ、諸の有業に従うを見る。天眼にて有業を観るに、自在天より生ずるに非ず。自性よりに非ず、我に非ず、亦復無因に非ず。竹の初節を破れば、余節は則ち難無きが如し。既に生死の因を見て、漸次に真実を見る。〔仏所行讃4、T04.0027c〕