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おうしゃじょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

王舎城

おうしゃじょう、Rājagṛha (S): Rājagaha (P)

 古代インドのマガダ国の首都。現在のビハール州。この南部にあるラージギルは、この城の旧跡であるといわれる。頻婆娑羅王がここに城を構えたといわれる。

 王舎城は、釈尊在世当時の中インドにあったマガダ国の首都であった。Rāja は「王」、gaha は「舎(いえ)」という意味である。いまはラージギル Rajgir と呼ばれている。ビハール州の首府パトナから約100km東南にある。
 まわりは、中インドには珍しく連山に囲まれ、連山の頂きに城壁を築いていた。敵を防ぐには屈強の土地であった。現在この首都のあとは無人の廃嘘となり、潅木の薮が茂っている。稀に虎が出没することがあるという。城壁の残骸は現在なお残存している。

 この都は旧王舎城と新王舎城との2つに分かれていて、旧都(玄奘は旧都を「上茅宮城」「矩奢掲羅補羅城」〈Kuśāgrapura〉と呼んでいる)は山城(Giribbaja)と呼ばれ、そこには、インダス文明以来、最古の石造建築の跡が残っている。これは伝説によるとマハーゴーヴィンダ(Mahāgovinda)王の建てたものである。その後ビンビサーラ王のときに平地に新王舎城を建てた。
 周囲に五つの山がある。1、白善山(Paņḍava)、2、霊鷲山(Gijjhakūța)、3、負重山(Vebhāra)、4、仙人崛山(Isigiri)、5、広普山(Vepulla)。その中でもっとも高いのが霊鷲山である。
 王舎城の都の跡は、現在は荒廃に帰して一面に草木が茂っているだけであるが、国王の都城としてはたしかに要害の地であったにちがいない。北側の渓谷に小さな川が流れているが、そのあたりに城門があり、釈尊はそこを出入りされたと土地の人は説明している。ひとたびその城門を閉じてしまえば、難攻不落であった。だから王舎城は諸王国が対立して、互いに侵略を繰り返しているときの都としては適当であった。しかしマガダ国が強大になり、他の国々から侵略される恐れがなくなると、王舎城は都として不適当である。だから、マガダ国は、後代になると、首都を水陸交通の要衝であるパータリプトラ(いまのパトナ)に移してしまった。それはアジャータシャトル王の子であるウダーイン王(Udāyin または Udāyibhadra )のときであると考えられている。しかし釈尊の当時には王舎城はマガダの首都として栄えていたのであり、「マガダの最大の都」と呼ばれている。或いはインド第一の繁華な都であったかもしれない。