かんやく
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漢訳大蔵経
漢訳大藏經とは単に「大蔵経」ともいい、古典中国語(漢文)に翻訳され収集・分類された仏典の総称である。
広義には東アジア(中国・朝鮮・日本)の仏教者の著述を含む。「衆経」「一切経」などとも別称し、これに含めることを入蔵という。
中国では、2世紀の中葉から仏典の伝訳が始まり、ほぼ8世紀まで続くが、時代が下るとともに漢訳仏典の絶対数は増加していく。しかし他方、さまざまな社会的・歴史的事情から、漢訳仏典の散佚、翻訳年代の不明化、翻訳者の不明化、偽経の出現などの問題が起こり、仏典の収集・整理の必要もしだいに高まった。このため、本格的なものとしては道安の『綜理衆経目録』(道安録。364年成立)を嚆矢としてしばしば仏典の目録が編纂された。この『綜理衆経目録』は現存しないが、疑経26部30巻を含め、合計639部886巻が収載されたという。さて、それらの目録のなかで、さまざまの先行する目録類を参照し、また現実に流布する漢訳仏典を収集・調査して、後代の範となった目録は中唐代の『開元釈教録』(智昇録。730年成立)である。本目録では、すでに『仁寿録』(602年成立)において用いられていた「入蔵」の観念を柱として「入蔵録」の一章を立て、仏典を整理し提示している。すなわち、
(a)大乗入蔵録一
- ① 大乗経515部2173巻
- ② 大乗律26部54巻
- ③ 大乗論97部518巻
(b)小乗入蔵録一
- ① 小乗経240部618巻
- ② 小乗律54部446巻
- ③ 小乗論36部698巻
(c)賢聖集108部541巻とし,都合1076部5048巻を入蔵する。そして、この(c)には『釈迦譜』10巻以下、中国撰述の目録・伝記・儀軌の類も含められている。また、その入蔵録に「不入蔵目録」を付すが、それによれば入蔵されない仏典は、①品数が整わないもの、②別名のものおよび正本のないもの、③重複するもの、④一部分が独立して流布するもの、⑤入手できなかったもの、⑥偽疑の経典、の6種類であり、これが後世「入蔵」の可否を判断する目安となった。なお、漢訳仏典
の数はこのあとの『貞元新定釈教目録』(円照録。800年成立)では、入蔵される仏典は合計1258部5390巻となるが、これまでは、中国仏教者の経典注釈書類は含まれていない。
南唐代の『続貞元釈教録』(945年成立)にいたって、李通玄の『新華厳経論』1部40巻が入蔵され、すぐれた仏教書はどういう種類のものでも入蔵するという動向への突破口が開かれた。
ところで、漢訳仏典は、はじめ総称して「衆経」と呼ばれ、やがて南北朝時代の後半あたりから「一切経」「一切乗蔵」「大蔵経」な
どとも称されるようになったらしい。それらを一括して残そうという積極的な試みは、組織的な書写・石刻・刊行などのかた
ちで行なわれてきた。このうち、たとえば書写については、734年の聖武天皇の勅願に始まるわが国の天平時代の一切経書写が最も大規模なもので、それらの写経の一部は現代まで伝えられており、学問的にも寄与するところが大きい。次に石刻としては、北周の廃仏のあと静碗が開始した中国・房山(河北省)の石経が特に有名である。彼は末法の到来にそなえ、永遠に仏典を残すために大業初年(605)から没するまで約30年のあいだこの仕事に打ちこむ。そして、この仕事は以後連綿と元代まで約700年にわたって継続された。さらに、こうした書写や石刻に比べて、特に社会的な影響力の点ですぐれたものが大蔵経の刊行である。
現在までに現われた、そのおもなものを年代順に列記すれば、次の通りである。
(1) 旧宋本(蜀版)。宋の太祖・太宗による発願(971)。12年を経て完成した。最初の板行大蔵経。23万枚、5048巻。『開元釈教録』にもとづく。
(2) 高麗本。初雕本は高麗の顕宗の発願(1011)。文宗代に完成。5124巻。高宗の19年(1232)板木焼失。このため高宗が
再雕本(海印寺版)を発願(1236)、15年後に完成。1524部6558巻。現存。
(3) 思渓本(宋版、浙本)。王永従らの開板(1132)。5918巻。
(4) 磧砂版(延聖寺版)。発願者不明。1231~1272。6000余巻。
(5) 勅版明蔵。南蔵は太祖の発願(1373)。6331巻。北蔵は太宗の発願(1420)。6361巻。
(6) 明蔵(万暦版)。哀了凡・密蔵らの発願(1583頃)。6771巻。のち清代に増補。
(7) 黄檗版。日本の鉄眼道光の発願。1663~1678。明蔵による。1618部7334巻。
(8) 龍蔵版。清の世宗・高宗の発願。1735~1738。7838巻。華厳宗の諸注釈書なども入蔵。
(9) 大日本校訂縮刷大蔵経(縮刷版)。日本の島田蕃根らの発願。1880~1885。高麗蔵再雕本を底本とし、宋元明の三蔵を校合。はじめて活字を用いる。日本の著述も含める。計1916部8534巻。
(10) 大正新脩大蔵経(大正蔵)。日本の高楠順次郎らの発願。1924~1934。同じく高麗蔵再雕本を底本とするが、敦煌発見の写本類、中国・日本の著述などを大幅に入蔵した最大の大蔵経で、校合も全般的によく行なわれている。現在、内外を問わず最もよく用いられる。
以上のほか、契丹版、金版、福州版なども板行された。また新たに中国では、趙城蔵を底本とする『中華大蔵経』の編纂がいま進められている。
このように、宋代以降、漢訳大蔵経は繰り返し刊行されてきた。それは、総じていえば仏教の復興ないし興隆と仏神の加護を祈る気運の反映であるが、入蔵される仏典の種類や数はそれぞれの時代と社会によって一定しない。しかし、全般的には東アジアの仏教者たちの著述が漸次入蔵される方向に動いてきており、こうしたかたちでの大蔵経の断続的な刊行が、東アジアの漢訳仏教圏の仏教を大きく支え、かつ性格づけてきたといえよう.