げんちゅうじ
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玄中寺
中国山西省交城県西北の石壁山にある。
寺内にある唐代の碑文には、北魏の延興2年(472)に曇鸞が創建を開始し承明元年(476)に完成したとあるが、『続高僧伝』6「曇鸞伝」によれば、曇鸞は東魏の興和4年(542)に67歳で没したとあり、玄中寺の創建は彼の出生より4年前となる。しかし、諸種の記録では、すでに唐代には、当寺が北魏時代に曇鸞によって開創されたと伝えられていた。
唐の道綽は当寺で曇鸞の碑文を見て浄土教に帰依し、寺に住して念仏を弘通した。唐の善導は貞観年間(627-649)に、当寺で道綽に謁した。
また、唐の太宗は、道綽に接見し礼をとって供養し、道綽の没後には当寺を官寺とした。
唐の開元13年(725)に僧愼微(しんび)が当寺に戒壇を置き、甘露無礙義壇の名を賜り、長安の霊感壇、洛陽の会善壇(かいぜんだん)とともに三都の三戒壇と称せられた。
宋代には興廃を繰り返し、元代に至って、戒壇設置以来律寺であったのが禅院となり永寧寺と改称された。近年修築を加え旧名に復した。