こうやさん

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高野山

 和歌山県伊都郡高野町にあり、海抜900メートル前後の山上に東西4キロ余にわたってひろがる盆地。明治以前までは、「金剛峯寺(こんごうぶじ)」と総称された。

歴史

816年(弘仁7) 空海が修禅の道場として一院を建立した
835年(承和2) 金剛峯寺は定額寺の一となる 同年3月21日 空海はこの地に入滅

 伽藍講堂中門を南北軸とする後方東西に、胎蔵金剛界の両部をもって宇宙を象徴する大塔(根本大塔)と西塔を配した密教独自の構成をもつ。

 空海滅後、都から遠隔の地にあるため衰微したが、10世紀中頃から、高野山で空海が生きたまま禅定に入り、衆生を救済するという入定信仰が興り、貴族や皇族の相つぐ登山によって隆盛となった。

11世紀初め、明算(めいざん)(1021-1106)がおこした事相の一派は中院流と称し、金剛峯寺系統の事相を代表する。
15世紀の初め頃、宥快(1345-1416)、長覚(ちょうかく)(1340-1416)などの学匠によって高野山の教学は大成し、その伝統は現在まで受け継がれている。
14世紀から15世紀にかけて、経済基盤であった寺領荘園をほとんど失って以来、地方の諸大名と寺檀関係を結び、参詣者を勧誘する宿坊経済が発達した。
1872年(明治5) 女人禁制が解かれ、次第に在家の人も山内に居住するようになり、現在53の宿坊を含む117の寺院と、大学・高校をはじめとする教育機関、商家などが並ぶ門前町を形成している。