ごんぜつ
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
言説
abhi-lap: abhilāpa: upacāra: kathā: vyavahāra: saṃlāpa (S)
言葉で語ること、また、その言葉。話すこと。言い表すこと。言説と訳される「vyavahāra」は特に世間での語り・言説<ごんぜつ>をいう。種類としては見言説・聞言説・覚言説・知言説の4つがある。
- 四の言説に依って異類の分別・思惟を発起す
- 世情に随わんが為に仮に言説を興す
- 言説が薫習する心
- 言説が薫習しない智
- 言説者、謂、依名、言説転。 〔婆沙論34、T27-177b〕
- 諸言説者、謂、詮辯義。 〔雑集論1、T31-695c〕
vyavahāra
仏教よりも広い視点からいえば、インドには「ヴィヤヴァハーラ」ということぱがある。これには、「世俗」「言説<ごんぜつ>」などの漢訳語が当てられているが、通インド的な文脈でいえば、それは、「観念(知識)と言語」を意味する。
「但有言説」名称として存在するのみであり、人間が、それが存在する、と恣意的に独断して名付けたものであるから、その名のみが存するにすぎない。〔中論釈、T30-06c〕
観念と言語を貫くもっとも本質的なものは論理(および倫理)であるから、ここからただちに、インドでいう「ヴィヤヴァハーラ」というのは、ほかならぬ『論理哲学論考』でウィトゲンシュタインがいう「論理空間」と相同であることがわかる。
言説薫習心
概念的思考によって、あるいは語ることによってくりかえし言葉が植えつけられた心。
- 言説薫習心に由るが故に、依他起自性上に於いて遍計所執自性に執著す