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さんさいろくそ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

三細六麁

 『大乗起信論』の説。根本無明によって真如が起動され、あらゆる生滅流転の妄法(迷いの現象)を現出する相状について、三細と六麁との九相を説く。細とは、まだ心王心所(個々の精神作用)の区別がなく、そのはたらく相が微細ではっきりしないからいい、麁とは、心王と心所とが相応し、そのはたらく相が粗であらわであるからいう。

 三細とは、
無明業相。業相ともいう。
 根本無明によって真如が起動された最初の状態。即ち枝末無明中の第一で、まだ主観と客観との区別もない。
能見相。見相とも転相ともいう。
 前の無明業相によって起こり対象を認識する心(主観)。
境界相。現相とも境相ともいう。
 能見相が起こると同時に妄現する認識対象(客観)。

 六麁とは、
④ 智相。
 境界相によって現出した妄境界を対象として、心王とそれに相応する心所とがはたらくが、その第一は対象について染浄を区別し、愛すべきものと厭うべきものとを分ける智のはたらきである。
⑤ 相続相。
 それによって苦楽を区別する心を起こす。即ち智相が相続する相であり
以上の二は法執の惑である。
⑥ 執取相。
 苦楽を区別することによって、堅い執著を起こす。
計名字相
 執われたものの上に名称を与えて種々のはからいを起こす。
以上の二は我執の惑である。
起業相
 以上の法執および我執の惑によって種々の善悪の行為をする。
業繋苦相
 業によって苦果を受け六道につながれて自由でありえない、のをいう。

 このように細から麁へ、即ち不相応心である阿黎耶識の位から相応心である六識の位へと進むことによって、迷いの世界は現出するのであり、従ってさとりに至るには麁から細へと向かわなければならず、凡夫の境界は麁中の麁(⑨―⑥)、菩薩の境界は麁中の細(⑤、④)および細中の麁(③、②)、の境界は細中の細(①)に配される。なお、この三細六麁を生・住・異・滅の四相に配することもある。