しょうぼうげんぞう

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正法眼蔵

 『正法眼蔵』には仮名の『正法眼蔵』と漢文の『正法眼蔵』があって、漢文の『正法眼蔵』は、中国臨済宗の大慧宗杲の同名の著述『正法眼蔵』3巻と深いかかわりがある。
 仮名『正法眼蔵』は道元自らの手により執筆され編集されたものであるが、これが『正法眼蔵』として成立したのは、懐奘の献身的協力によるものであり、一説には『正法眼蔵』の編集は懐奘の手に成るともいわれる。

 『正法眼蔵』の思想の特質は、75巻本『正法眼蔵』の第一が「現成公案(げんじょうこうあん)」巻から始まるように、現成公案の思想を示すことにある。現成公案とは「現に成立しているものは絶対の真理である」ということである。道元によれば、あらゆるものは現に成立しているものであり、絶対の真理であって、人間もあらゆるものの一つとして絶対の真理に生かされているのである。これを示すものが『正法眼蔵』である。道元はこの現成公案の真理は、代々の仏祖によって正しく伝えられ、この現成公案の世界は只管打坐(ただひたすら坐禅すること)によって開かれるとする。したがって、『正法眼蔵』は正伝(しょうでん)の仏法と只管打坐を中心として説かれる。

 道元の説く正伝の仏法とは、禅を禅宗としてとらえないで全仏法としてとらえることである。道元が入宋した当時の中国の宋朝禅は、臨済宗、曹洞宗、法眼(ほうげん)宗、潙仰(いぎょう)宗、雲門(うんもん)宗の五家(ごけ)に分かれ、さらに臨済宗は黄竜(おうりゅう)派と楊岐(ようぎ)派に分派していた。これら五家七宗(ごけしちしゅう)の禅は、外に対しては禅宗として教外別伝(きょうげべつでん)(教義を心から心へ直接伝えること)を唱え、内に対してはそれぞれの家風にたって自派の優勢を誇ったのであるが、道元は、禅の本旨は五家分派以前の全仏法にあるとし、禅宗の宗名を排し、正伝の仏法を強調したのである。
 道元の示す只管打坐は、宋朝に成立した看話禅(かんなぜん)が公案の工夫を中心とする坐禅であるのに対し、ただ坐禅することを強調するものである。只管打坐は「証上の修」または「本証妙修」といわれる。それは看話禅が凡夫より仏に向かう修行であるのに対し、仏になるための修行でなく、それ自体が仏行であるとする。道元はこのように現成公案の真理は、正伝の仏法によって伝えられ、只管打坐によって開かれるとするもので、この思想は道元の全著作の基調となっている。

 これがそのまま仏法をさす名である。    〔正法眼蔵御抄〕