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だい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

mahā महा (S)

 「大小」と意味的に連続して出てくる場合は、「大きい」「小さい」と読んでも良い。
 しかし、特例として単に「大」のみ出てくる場合には、しばしば、仏の働き、仏の属性を述べるために使う場合が多い。そのような場合には「絶待的な」とか「仏の」と読み替えても良い。

 自体寛広の意味、周遍包含の義、また、多の義、勝の義、妙の義、不可思議の義。

 体寛広故に。〔倶舎論1〕
 包含を義と為す。〔起信論義記上本〕
 大義に三あり、大多勝なり。〔法華玄義2〕

他の「大」について‥‥

 仏菩薩は浄天耳を以って能く大なる(ghana)声を聞く。
 無上なるを以っての故に説いて名づけて大(udāra)と為す。
 大なる(bhṛśatara)厭離心を起こす。
 大なる(mahat)名称ありて世間に流聞す。
 無上菩提は大なる(mahā)威徳を具す。
 大なる(vipula)財宝を得ても尚、貪著せず。
 大なる(vistara)音声を以って吟詠し讃誦す。


三大

 起信論に説かれている、体大・相大・用大の三大
 人間の心の本体()と、すがた()と、はたらき()は、本来が広大無辺であるから、体大・相大・用大という。『起信論』では、衆生の心の実体である平等普遍の理体である真如の自体を体大、その真如が如来蔵として無証の性徳をたもつ点を相大、その真如が衆生に善を行なわせ、善い果報を得させる作用を用大とする。