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だいじだいひ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

大慈大悲

 の広大無辺なる慈悲、いつくしみのこと。

 浄土真宗でも意味的には同じ。(信巻 P.236, 御文章 P.1115)

大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く。大慈は喜楽の因縁を以て衆生に与え、大悲は離苦の因縁を以て衆生に与う。    〔大智度論巻27 T25-256b〕
 問うて曰く、大慈大悲は是の如くんば、何等か是れ小慈小悲にして、此の小に因りて名づけて大と為す。答えて曰く、四無量心の中の慈悲を名づれて小と為し、此の中の十八不共法に次第して大慈悲を説くを名づけて大となす。復次に諸仏心中の慈悲を名づけて大となし、余人心中のものを名づけて小となす。
 問うて曰く、若し爾らば何を以て菩薩は大慈大悲を行ずと言うや。答えて曰く、菩薩の大慈は仏に於て小となし二乗に於て大となす。此れは是れ仮に名づけて大となす。仏の大慈大悲は真実にして最大なり。復次に小慈は但だ心に衆生に楽を与えんと念ずるも、実には楽事なし。小慈は衆生の種々の身苦心苦を観ずるに名づく、憐愍するのみにして脱せしむること能わず。大慈は衆生の苦を憐愍し、亦能く苦を脱せしむ。復次に凡夫人声聞辟支仏菩薩の慈悲を名づけて小となし、諸仏の慈悲を乃ち名づけて大となす、復次に大慈は大人の心中より生じ、十力四無所畏四無礙智十八不共法の大法の中より出で、能く三悪道の大苦を破し、能く三種の大楽を余ふ。天楽と人楽と涅槃楽となり。復次に是の大慈は十方三世の衆生乃至昆蟲に遍満し、慈は骨髄に徹して心捨離せず、三千大千世界の衆生の三悪道に堕せんに、若し人ありて一々皆代わりて其の苦を受け、苦を脱することを得しめ已りて、五所欲の楽、禅定の楽、世間最上の楽を以て自ら恣に之を与えて皆満足せしめんも、仏の慈悲に比するに千万分中の一分にも及ばず。何を以ての故に、世間の楽は欺誑不実にして生死を離れざる故なり。〔大智度論巻27 T25-256b〕