だいじゅく
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
代受苦
『華厳経』系に主に説かれるはたらきを述べており、このはたらきが発展して、他力廻向となったのではないかと思われる。
仏菩薩が、その大悲によって衆生の悪業を成すことによって得る苦悩のすべてを、代わって受ける。それによって、衆生が涅槃に入ったり、解脱することをいう。
- 仏の説法を聞きて即ち開解を得て、阿羅漢と成りて速く涅槃に入る。これ諸々の衆生、もし業報未だ尽くさざれば、我まさに寿を捨てて阿鼻獄に入るに代わりて苦悩を受く。 〔悲華経、T3-0212c〕
- 云何菩薩入大悲心。若菩薩如是念我爲一一衆生故。如恒河沙等劫地獄中受懃苦。乃至是人得佛道入涅槃。如是名爲爲一切十方衆生忍苦。是名入大悲心。〔大品般若経 T8-258 a,b〕
いかんが菩薩、大悲心に入る。もし、菩薩、かくの如く念ず。我れ一一の衆生のための故に、恒河沙にも等しい劫の如く、地獄の中で懃苦を受く。そのように是の人、佛道を得て涅槃に入るならば、かくの如きを名づけて一切の十方の衆生のために忍苦をなすと。是れを大悲心に入ると名付く。
- またこの念を作す。一切衆生無量の諸々の不善業を造作す。この業によるが故に無量の苦を受く。如来を見ず、正法を聞かず、浄い僧を識らず。この諸々の衆生、具に無量の大悪業有り。まさに無量無辺の楚毒を受けるべし。我れまさに彼の三悪道の中、悉く代わりて苦を受けて、解脱を得せしむ。我れまさに代わりて無量の苦悩を受け苦の故にその心、衆生を退転・恐怖・懈怠・捨離することを以てせず。何を以ての故に、我れ衆生のために荷負重擔し、平等の願に満つ。一切の生老病死と愁憂苦惱と無量の諸難を度脱し、生死は一切の邪見を流転し、諸々の善法を失い愚痴・無知となる。我れまさに悉くこの衆苦を、衆生、常に愛網に纒ぜらる所を免れ度す。 〔六十華厳、T09.0489b〕
- 大悲心に入るとは、先に説いた如く。此の中で佛自ら説く。大心を本願するは衆生のための故なり。所謂、一一の人のため故に、無量劫において地獄の苦を代わりて受ける。乃至、是の人に功徳を行じ、集め、佛と作しめて無餘涅槃に入らしむ。
- 入大悲心者。如先説。此中佛自説。本願大心爲衆生故。所謂爲一一人故。於無量劫代受地獄苦。乃至令是人集行功徳作佛入無餘涅槃。〔『大智度論』T25、414b〕