だい35がん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
第35願
三十五願‥‥法然によると「女人往生の願」、親鸞によると「女人成仏の願」「変成男子の願」‥‥は支謙訳にはあるが、支婁迦識訳には欠けている。
支婁迦讖は省いたのであろうか。支婁迦讖は150年または167年に洛陽に来たから、それ以後に加わったものである。その後になるとクシャーナ王朝の最盛期、つづいてクシャトラパ王朝の西インド支配の行われた時期であるが、これらはもともと遊牧民族で家父長制であったから、女人は従属視されていた。では、浄土教では、その社会的事実をどう考えるか、ということが問題となって、この女人往生の願が挿入されたのであろう。
ちなみに「女人往生の願」と呼ぶほうが、原意に近い。「往生」は「成仏」ではない。「女人成仏の願」と解するのは、親鸞独特の解釈である。