興道尊者道邃、何許の人なるを知らず、唐の代宗大暦中に來りて荊溪に天台の佛隴寺に依る。荊渓之を嘉して曰く、吾子其れ能く嗣で吾道を興さんと、遂に止観輔行を授く。師衆の為に開説し深旨を発明す。 貞元21年、日本国の沙門最澄來て法を求む、師一家の教観を尽して之に付す。
(正統記)「六代の正統道邃和尚」〔佛祖統紀八〕