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ふに

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

不二

① 異ならぬこと。同じ。同体。

② 二つのものの対立のないこと。二つのものの平等。(P) advaya (S) advayā〔『中阿含経』T1-800b〕

③ 実践的には相手の心になること。

④ 明治以後のインド学者がヴェーダーンタ哲学のうちのシャンカラ((S) Śańkara)の哲学の中心観念である(S) advaitaの訳語として用いた。一元。インド思想史においては、一元論(advaita)が大勢を占めていた。ウパニシャッド哲学で、宇宙の本質としてのプラフマン((S) brahman 梵)、個人の主体的本質としてのアートマン((S) ātman 我)の2原理が立てられ、この2原理は実 は同一のもの(梵我一如)であり、万有は絶対者のプラフマン、アートマンに帰一すべきものとされた。

二物相合の不二

 +と-のように、二つが相い合って働くことを言う。

当体全是の不二

 水と波の関係のようなもの。

 行信論はこのような関係。名号と信心は当体全是の不二である。

背面相合の不二

 紙の裏表のような関係。

 これを行信に当てはめると間違う。石泉派はここで間違えた。

維摩経

 そこで、その天女が長老シャーリプトラに言った、「大徳よ、この花を振り落としてなんになさるのですか」。答えて言う、「天女よ、これらの花(で飾ること)は、(出家の身には)ふさわしくないことですから、取り去ろうとするのです」
 天女が言う。「大徳よ、そのようなことをおっしゃってはなりません。なぜかといえば、この花は法にかなったものです。その理由は、この花のほうでは考えたり分別したりしないのに、長老シャーリプトラこそが、思慮し分別しているからです。大徳よ、出家して善説の法と律とのなかにありながら、思慮し分別するならば、それこそ法にかなわないことなのです。長老は(法や律について)はからいをめぐらし分別していますが、思いはからうことのないことこそが正しいのです。    〔維摩経、第6章〕

八千頌般若経

 スブーティよ、たとえば、供養されるべき、完全にさとった如来が命の尽きるまで立ちどまって虚空の美しさをたたえようとも、虚空は増大しない。美しさをたたえられなくても、虚空はけっして減少しない。またたとえば、スブーティよ、幻の人は美しさをたたえられても誘われもしないし、苦しめられもしない。美しさをたたえられなくても、挫けもせず、苦しめられもしない。ちょうどそのように、スブーティよ、諸事物にある「ものの本性」(法性)というものは、説かれていてもそのままであり、説かれなくてもそのまま(変わらないの)だ。    〔八千頌般若経 第8章〕