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ほっくう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

法空

 二空生空法空我空法空)の一つ。
 存在の構成要素は存在しないという理。

大空経

 十二因縁は、無知(無明)から老・死に至るまでの因果の系列である。もしある人が、これこれが老・死であるといい、これこれのものに老・死は属するというならば、このような考えはいずれも誤った考えである。出生(生)、存在(有)、執着(取)、渇愛(愛)、感受(受)、接触(触)、六種の感覚器官(六入)、精神的現象と物質的現象(名・色)、意識(識)、形成力(行)、無知(無明)についても同様である。またもしある人が、身体(身)は精神(神)と同じものであるといい、またある人が身体は精神と異なるものであるというならば、この二つの見解は異なってはいても、ともに誤った考えである。
 仏は言われた。「身体は精神と同じであるという、このような誤った見解をもつものはわたしの弟子ではない。身体は精神と異なるという、このような誤った見解をもつものも、またわたしの弟子ではない」と。〔大智度論に『大空経』を引いてこのように言う〕

大智度論

 仏はその相手に応じて教えを説かれる。自我や世界は恒常であるという誤った考え(常顛倒)を否定するために無常であると説かれ、人が未来世〔に生まれ変わるということ〕を知らず、信じないがゆえに、「心は未来世へと去り、上方の神々の世界へと生まれ変わる」「罪深い行いや福徳ある行いによって形作られた果報をもたらす要因は、百千万劫の長い期間の後といえどもなくなることはない」と説かれる。しかしこれは対症的真理(対治悉檀)であって、絶対的真理(第一義悉檀)ではない。すぺての存在の真実あるがままのすがたは恒常でもなければ無常でもない。仏はまた、さまざまな場所で、すべての存在が空であることをお説きになっているが、すべての存在が空であるならば、無常なものもまた存在しないはずである。それゆえに、「世界は無常であるというこのような考えは、誤った見解である」とお説きになったのである。以上述ぺてきた理由から、〔そのような存在のあり方を〕存在に関わる空(法空)と呼ぶのである。〔大智度論〕