ぼだいだるま
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菩提達磨
中国禅宗の初祖。達摩とも書く。インドの王族の出身で、劉宋末に来航し、北魏の洛陽(河南省洛陽県)で『楞伽経』による大乗の禅法を伝える。
弟子の慧可と道育がこれを受け、他に曇琳が師説を録して『二入四行論』1巻を編した。年齢150で、没年は確かでない。
後に禅宗では、達磨はインドで仏陀の心印を伝えた第28祖で、梁の普通元年<520>に西来、金陵(江蘇省江寧県)で武帝と問答し、嵩山<すうざん>少林寺<しょうりんじ>(河南省発封県北)で慧可に法を伝えたという。また大通2年<528>に毒殺さ
れ、熊耳山(同省宜陽県西)の墓塔に隻履を残して西帰したとし、円覚大師と諡する。
ただし、この説は史実に合わない点があり、或いは達摩多羅と同視し、或いは日本への渡来を説くなどの異説も多い。
達磨に関する最古の資料は続高僧伝16・26、洛陽伽藍記1、及び略弁大乗入道四行(伝灯録30)の3種。禅宗の説としては、伝法宝紀、楞伽師資記、歴代法宝記、神会録、宝林伝8、円覚大疏3下、祖堂集2、伝灯録3、伝法正宗記、達磨三朝伝などがあり、少室六門、無心論、絶観論、達摩禅師論などがその禅法を伝えるものとされるが、極めて問題が多い。