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むじょうざんまい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

無諍三昧

 無諍とは争いがないこと、すなわち心のなかの葛藤・迷いがないこと。また諍は煩悩の意にも解される。
 三昧は梵語サマーディの音訳で、心が統一され、静かで安らかな状態を意味する。等持とも漢訳される。

無諍三昧の相は常に衆生を観じて、心をして悩せしめず、多く憐愍を行ず    〔大智度論巻11 T25-136c〕
一切の禅定を亦た定と名づけ、亦た三昧と名づく    〔大智度論巻28 T25-268b〕

とあり、三昧と禅定を同義語としている。

無諍とは、衆生を悩まさず、能く衆生をして煩悩を起こさざらしむ。故に仏これを讃す 〔金剛般若経論纂要 T33-161a〕