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ツォンカパ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

ツォンカパ

Tsoń-kha-pa
(1357 - 1419)

 チベット仏教の改革者で黄帽派(Shwa-ser-pa)の祖。宗喀巴と音写する。
 7歳で出家して僧名をロサン・タクパ Blo-bzań grags-pa と称した。各派の教義を学んで顕密の奥義をきわめ、独自の教学をうち立てた。その教説はアティーシャ Atīśa にはじまるカーダム派 Bkaḥ-gdams-pa の伝統を吸収しつつ中観思想と密教との融合をはかるもので、チャンドラキールティ Candrakīrti(月称)の中観学派帰謬論証派(プラーサンギカ Prāsaṅgika)の教理を中核として空性の理を悟ることを説き、その顕教の究極に達したうえで無上瑜伽タントラを修習すれば現生において仏陀と同じ地位にいたることができるとした。
 タントラの中ではグフャサマージャ(秘密集会)タントラを最高のものとする。厳格な独身主義をはじめとする戒律の遵守を説き、堕落的傾向にあった当時のチベット仏教各派を批判して大衆の歓迎をうけた。ガンデン Dgaḥ-ldan 寺を建立し、そこを拠点としたので、かれの教団はガンデン派と呼ばれ、のちにはゲルク派 Dgw-lugs-pa とも呼ばれた。また黄帽をもちいたので、ボン教の 黒帽 Shwa-nag、従来の仏教の紅帽 Shwa-dwar に対して黄帽派ともいう。

著書

  • 菩提道次第論 Byań-chub lam-Rim
  • 真言道次第論 Sńags-rim

をはじめ二百余篇があり、のちにツォンカパ全書17(または18)帙としてまとめられた。

弟子のゲンドゥン・ドゥパ Dge-ḥdun grub-pa はのちにダライ・ラマⅠ世とされ、またケードゥプジェ Mkhas-grub-rje はパンチェン・ラマⅠ世とされた。