じょうどろん
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浄土論
無量寿経優婆提舎願生偈、1巻。『無量寿経論』『往生論』などともいわれている。
著者は北印のヴァスバンドゥ Vasubandhu(天親・世親、第5世紀ごろの人)。訳者は北印のボーディルチ Bodhiruci(菩提流支、菩提留支)。菩提流支は508~535年の間、中国で翻訳に従事しているが、『貞元録』では529 (永安2)年に洛陽永寧寺でこの論を訳したと伝えている(T26, pp.230~233、『真宗聖教全書』①pp. 269~278)。
この論は24行96句の偈頌と、その偈頌の意味を敷衍した長行とから成立している。
偈の大意は、安楽世界を観じ、阿弥陀仏を見ることによって、阿弥陀仏の浄土に生まれんとすることを願う意味のもので、偈の最初に「安楽国に生ぜんと願う」と表白し、以下観見の対象である浄土の荘厳を述べ、最後に廻向句で結んでいる。
長行では、浄土に往生する方法を敷衍して五念門とし、五念門を修し、その行が成就することによって安楽国に生じ五果門をうるとしている。五念門とは、礼拝門、讃嘆門、作願門、観察門、廻向門であり、五果門とは、近門、大会衆門、宅門、屋門、園林遊戯地門であって、要するに浄土におけるさとりを順序だてて説明したものである。
五念門の中、大部分は観察門について述べられ、観察の対象たる浄土は、17種の国土荘厳と、8種の仏荘厳と、4種の菩薩荘厳との3厳29種にされている。
この論は、竜樹の『十住毘婆沙論・易行品』が、阿弥陀信仰を下劣の衆生のためとしたことのために、ともすれば浄土思想を低くみようとする傾向があるのに対し、浄土の行を大乗菩薩道として打ち立てているところに、インド仏教としての重大な意味があり、また曇鸞によって註が書かれたことによって、中国における善導流の仏教を発せしめる源流となり、日本では法然が浄土正依の経論として三経一論としたことにより、経典と多らぶ格調の高いものとして、また曇鸞の註をとおして、親鸞等の日本の浄土教家に大きな影響を与えている。
代表的な註釈は曇鸞の『註』2巻、近代のものでは、僧鎔の『述要』、慧然の『大意』、法界の『講義』、月珠の『随釈』等がある。