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しゅうじゃく

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

執着

abhiniveśa अभिनिवेश (S)

 事物に固執し、とらわれること。

「執著」とも書く。仏教術語というより、一般的な用語であり、現代語の「執着」(attachment)によく似た意味で、煩悩の術語としてのrāga()あるいはlobha()に近い。
 サンスクリット原語は、abhiniveśaの他に、sakti、āsakti(没頭すること)、parigraha(摂取、所有)などよい意味でも使われる語が同時に執着の意味をもち、grāha(にぎる、理解)、adhyavasāya(決知、判断)など認識にもかかわる語が執着の意味で用いられる。

「対執堅著」の意味であって、単に「執」「著」、もしくは「計著」ともいうことがある。虚妄分別の心によって、我および法などに対執堅著することをいうものである。

 大慧、一切法に於いて言の如く義を取り、執著深密にして其の数無量あり。所謂、相執著 lakSaNAbhiniveza-saMdhi、縁執著 pratyayAbhiniveza-saMdhi、有非有執著 bhAvAbhAbhAvAbhiniveza-saMdhi、生非生執著 utpAdAnutpAda-saMdhi、滅非滅執著 nirodgAnirodhAbhiniveza-prativikalpa-saMdhi、乗非乗執著 yAnAyAnAbhiniveza-prativikalpa-saMdhi、為無為執著 saMskRtAsaMskRtaprativikalpAviniveza-saMdhi、地地自相執著 bhUmy-svalakSaNa-vikalpAbhiniveza-saMdhi、自分別現証執著 sva-vikalpAbhisamaya-vikalpa-saMdhi、外道宗有無品執著 sad-asatpakSa-tIrthy-Azraya-prativikalpa-saMdhi、三乗一乗執著 triyAnaikayAnAbhisamaya-vikalpa-saMdhiなり。大慧、此等の密執には無量の種あり、皆是れ凡愚自ら分別し、執して而も密に執著す。此の諸の分別は蚕の繭を作るが如く、妄想の絲を以て自ら纏ひ他を纏ひ、有無に執著して欲楽堅密なり。〔大乗入楞伽経4無常品〕