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+ | 劫は無限の長時間。曠は、久しくはるかなこと。特に未来に長いのを曠という。多生は何回も生を重ねること。遠く久しい時を隔てて無限の昔から多くの生を受けていること。〔『正法眼蔵』行持 T82-132c、『親鱒聖人御消息集』625〕 |
2020年10月29日 (木) 10:34時点における最新版
曠劫
anādi-kāla (S)
久しい時。遠く久しい時期。果てしないかなたの時。非常に長い年月。大昔。はるかな昔。 〔倶舎論9、玄義分、選択集T83-10a、教行信証序、歎異抄19〕
- 曠は遠なり。遠劫と云ふが如し。 〔香月院深励述『教行信證講義』192〕
曠劫多生
「こうごうたしょう」
劫は無限の長時間。曠は、久しくはるかなこと。特に未来に長いのを曠という。多生は何回も生を重ねること。遠く久しい時を隔てて無限の昔から多くの生を受けていること。〔『正法眼蔵』行持 T82-132c、『親鱒聖人御消息集』625〕