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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(四無量心)
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「四等」「四梵行」などとも訳される。十二禅門の四禅である。
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<big>catvāri, apramāṇāni</big> (S)
  
# 慈無量心 能く楽を与える心
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 禅定を修し、そのなかで他の人びとの幸せを願う慈・悲・喜・捨の四つの心。慈無量・悲無量・喜無量・捨無量の四つの無量。このなか、慈無量とは人びとに楽を与えようと願う心。悲無量とは人びとの苦を抜こうと願う心。喜無量とは人びとが苦を離れ楽を得るのをみて喜ぶ心。捨無量とは親しいとか憎いとか分別することなくすべての人びとを平等視して人びとの幸せ(利益)を願う心をいう。<br>
# 悲無量心 能く苦を抜く心
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 無量の人びとを対象とし、無量の福を引き、無量の勝れた果を招くから無量という。<br>
# 喜無量心 人の離苦得楽を見て慶悦の心を生ずる
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 「四等」「四梵行」などとも訳される。十二禅門の四禅である。
# 捨無量心 上の三心を捨てて心に存着せず。また、怨親平等であり、怨を捨て、親を捨てること。
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# '''慈無量心''' 能く楽を与える心
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# '''悲無量心''' 能く苦を抜く心
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# '''喜無量心''' 人の離苦得楽を見て慶悦の心を生ずる
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# '''捨無量心''' 上の三心を捨てて心に存着せず。また、怨親平等であり、怨を捨て、親を捨てること。
  
 
 この四心は、あまねく無量の衆生を縁じて、無量の福を引くので無量心と名づけ、また、平等に一切の衆生を利するので等心と名づける。この四心は、四禅定によって修することで得られ、この修行によって色界の梵天に生ずることができるので四梵行と言われる。
 
 この四心は、あまねく無量の衆生を縁じて、無量の福を引くので無量心と名づけ、また、平等に一切の衆生を利するので等心と名づける。この四心は、四禅定によって修することで得られ、この修行によって色界の梵天に生ずることができるので四梵行と言われる。
  
:無量にして心有り、1に慈(maitrii)。2に悲(karuNaa)。3に喜(muditaa)。4に捨(upekSaa)。無量というは、無量の衆生が所縁となすが故に、無量の福を引くが故に、無量の果を感ずるが故に     〔[[くしゃろん|倶舎論]] 29〕
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: 慈、有与楽行相、悲、有抜苦行相、喜、有喜慰行相、捨、有捨置行相。  〔『婆沙』81、T27-421a〕
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: 修行者(bhikkhu)らよ、修行者が財宝に富むとは何ごとぞや。修行者らよ、ここに修行者ありて、慈とともなる心を以て一方に遍満してあり、また二方・三方・四方に遍満してあり、かくのごとく上・下・横・普ねく一切の処・一切の世界に広大・広博・無量にして怨みなく害することなき慈心を以て遍満してあり。悲とともなる心を以て……喜とともなる心を以て……捨とともなる心を以て遍満してあり。修行者らよ、これぞ修行者が財宝に富むなり。〔''Dīgha Nikāya''. III, p.78; ''Majjhima Nikāya''. I, p.283〕
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;: 無量にして心有り、1に慈(maitrī)。2に悲(karuṇā)。3に喜(muditā)。4に捨(upekṣā)。無量というは、無量の衆生が所縁となすが故に、無量の福を引くが故に、無量の果を感ずるが故に     〔[[くしゃろん|倶舎論]] 29, T29-150b〕
  
:四無量心とは、慈悲喜捨なり。     〔[[だいちどろん|智度論]] 20〕
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: 四無量心とは、'''慈悲喜捨'''なり。     〔[[だいちどろん|智度論]] 20〕

2021年8月13日 (金) 14:26時点における最新版

四無量心

catvāri, apramāṇāni (S)

 禅定を修し、そのなかで他の人びとの幸せを願う慈・悲・喜・捨の四つの心。慈無量・悲無量・喜無量・捨無量の四つの無量。このなか、慈無量とは人びとに楽を与えようと願う心。悲無量とは人びとの苦を抜こうと願う心。喜無量とは人びとが苦を離れ楽を得るのをみて喜ぶ心。捨無量とは親しいとか憎いとか分別することなくすべての人びとを平等視して人びとの幸せ(利益)を願う心をいう。
 無量の人びとを対象とし、無量の福を引き、無量の勝れた果を招くから無量という。
 「四等」「四梵行」などとも訳される。十二禅門の四禅である。

  1. 慈無量心 能く楽を与える心
  2. 悲無量心 能く苦を抜く心
  3. 喜無量心 人の離苦得楽を見て慶悦の心を生ずる
  4. 捨無量心 上の三心を捨てて心に存着せず。また、怨親平等であり、怨を捨て、親を捨てること。

 この四心は、あまねく無量の衆生を縁じて、無量の福を引くので無量心と名づけ、また、平等に一切の衆生を利するので等心と名づける。この四心は、四禅定によって修することで得られ、この修行によって色界の梵天に生ずることができるので四梵行と言われる。

 慈、有与楽行相、悲、有抜苦行相、喜、有喜慰行相、捨、有捨置行相。  〔『婆沙』81、T27-421a〕
 修行者(bhikkhu)らよ、修行者が財宝に富むとは何ごとぞや。修行者らよ、ここに修行者ありて、慈とともなる心を以て一方に遍満してあり、また二方・三方・四方に遍満してあり、かくのごとく上・下・横・普ねく一切の処・一切の世界に広大・広博・無量にして怨みなく害することなき慈心を以て遍満してあり。悲とともなる心を以て……喜とともなる心を以て……捨とともなる心を以て遍満してあり。修行者らよ、これぞ修行者が財宝に富むなり。〔Dīgha Nikāya. III, p.78; Majjhima Nikāya. I, p.283〕
 無量にして心有り、1に慈(maitrī)。2に悲(karuṇā)。3に喜(muditā)。4に捨(upekṣā)。無量というは、無量の衆生が所縁となすが故に、無量の福を引くが故に、無量の果を感ずるが故に     〔倶舎論 29, T29-150b〕
 四無量心とは、慈悲喜捨なり。     〔智度論 20〕