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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(三業惑乱)
 
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=三業惑乱=
 
=三業惑乱=
 功存、智洞らによって唱えられた真宗法義上の諍論の名前である。また、三業安心の諍論ともいう。<br>
 
 三業帰命の義を主張して、一念帰命の他力信心の正義を惑乱させたことを言う。
 
  
 功存は、越前太田平乗寺の住職で、本願寺派に属し、龍谷第6代の能化であった。かねて越前に「タノマズ秘事」という邪説が流行していたのに対して、宝暦13年、『願生帰命弁』3巻(明和明和元年三月刊行)を著して、無帰命の邪計を破して、三業帰命の義を唱えた。当時、賛否の論が興り、夫々著述して論争をしていた。<br>
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[[TYU:三業惑乱]]
 その後を承けて、智洞が第7代の能化となって、大いにその義を主張したので、ついに本願寺派の中での争乱となり、終に公儀の裁決を経ることになった。
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 主張していることをまとめると、1は「願生帰命」、2は「三業だのみ」ということである。<br>
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 「願生帰命」というのは、願生即帰命の義を主張しているのであり、蓮如上人が「後生たすけたまへと頼めと言ふ」は、すなわち機より弥陀に向けて欲願する意味である。これは三信の中の欲生我国であって、願成就の願生彼国である。この欲生の助けたまえと頼むところは、すなわち帰命にして信楽だから、助けたまえと言うは正しく願生ならざるべからず。弥陀が我らに信心を回向するは、すなわち欲生心をもって与えたもうところであるから、欲生心を大悲廻向心とも、また諸有の群生を召喚したまう勅命なりとも釋す。故に我らが弥陀を頼むも、欲生心をもって助け給へと頼む、という意味なのではない。しかれば、「頼む」はすなわち「願」である。しかも頼むと言って願とは言わないのは、仏に向かわずして
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三業惑乱

TYU:三業惑乱