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(内心において)〈物質的なもの〉という想いをいだいている者が(外において)〈物質的なもの〉を見る。これが第一の解脱である。<br> | (内心において)〈物質的なもの〉という想いをいだいている者が(外において)〈物質的なもの〉を見る。これが第一の解脱である。<br> | ||
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〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しな℃と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第六の解脱である。<br> | 〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しな℃と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第六の解脱である。<br> | ||
〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の解脱である。<br> | 〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の解脱である。<br> | ||
− | + | 〈非想非非想処〉を全く超越して、〈想受滅〉(表象も感受も消滅する境地)に達して住する。これが第八の解脱である。〔大パリニッバーナ経 pp.80-81〕〔大般涅槃経、T01.0192a〕 |
2023年8月15日 (火) 13:09時点における最新版
八解脱
aṣṭa-vimokṣa (S)
心を開放する8つの精神統一。
大般涅槃経での、釈尊の説法
アーナンダよ・これらの八つの解脱がある。その八つとは、どれどれであるか?
(内心において)〈物質的なもの〉という想いをいだいている者が(外において)〈物質的なもの〉を見る。これが第一の解脱である。
内心に〈物質的ならざるもの〉という想いをいだく者が、外部において〈物質的なもの〉を見る。これが第二の解脱である。
(すべてのものを)〈浄らかである〉と認めていること、――これが第三の解脱である。
〈物質的なもの〉という想いを全く超越して、抵抗感を消滅し、〈別のもの〉という想いを起さないことによって、〈(すべては)無辺なる虚空である〉と観じて、〈空無辺処〉に達して住する。これが第四の解脱である。
〈空無辺処〉を全く超越して、〈(すべては)無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。
〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しな℃と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第六の解脱である。
〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の解脱である。
〈非想非非想処〉を全く超越して、〈想受滅〉(表象も感受も消滅する境地)に達して住する。これが第八の解脱である。〔大パリニッバーナ経 pp.80-81〕〔大般涅槃経、T01.0192a〕