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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(廻諍論)
(廻諍論)
 
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 サンスクリット名を訳すと「論争の超越」となる。約70の詩頌からできている。前後2部からなり、前半20頌は中観の思想に対する多額派からの論難、後半の50頌はそれに対する中観の立場からの解答である。<br>
 
 サンスクリット名を訳すと「論争の超越」となる。約70の詩頌からできている。前後2部からなり、前半20頌は中観の思想に対する多額派からの論難、後半の50頌はそれに対する中観の立場からの解答である。<br>
 このような論難と解答という論争形式をとった著書としては、これは古い時期に属するもので、ナーガールジュナは、論難の一頌一頌を引用しながら、ていねいにそれを論駁し解答を与えている。その相手の実在論者は、まず仏教内のアビダルマ哲学であり、ついでニヤーヤ学派が大部分を占める。
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 このような論難と解答という論争形式をとった著書としては、これは古い時期に属するもので、ナーガールジュナは、論難の一頌一頌を引用しながら、ていねいにそれを論駁し解答を与えている。その相手の実在論者は、まず仏教内のアビダルマ哲学であり、ついでニヤーヤ学派が大部分を占める。<br>
 
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 ニヤーヤ学派というのは、のちに大成して重要な学派となった実在論的論理学派、すなわち、認識論や論証学などを媒介に実在を論理学的に究明しようとする学派である。この学派の思想がナーガールジュナの時代に、どの点までかたまっていたかは不明であるが、ニヤーヤ学派の基本的な考え方が『論争の超越』にあらわれていることは明白であり、のちのニヤーヤ学徒も、ナーガールジュナのこの反駁を眼中において議論を展開している。そのような意味から、この書は論理学史上に重要な位置を占め、貴重な材料を提供している。
 まづ外道の一切法無体なれば言語亦無体なり、如何ぞ能く一切法を遮逍せんとの難を述べ、次に正義を述べて一切法は因縁生なり、言語もまた因縁生なり、同じく皆無体なり、幻人を以て還って幻人を遮する如しと云ふ。
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2024年11月4日 (月) 12:08時点における最新版

廻諍論

Vigrahavyũvartanī (S)
1巻、龍樹菩薩造、後魏・毗目智仙等訳。

 サンスクリット名を訳すと「論争の超越」となる。約70の詩頌からできている。前後2部からなり、前半20頌は中観の思想に対する多額派からの論難、後半の50頌はそれに対する中観の立場からの解答である。
 このような論難と解答という論争形式をとった著書としては、これは古い時期に属するもので、ナーガールジュナは、論難の一頌一頌を引用しながら、ていねいにそれを論駁し解答を与えている。その相手の実在論者は、まず仏教内のアビダルマ哲学であり、ついでニヤーヤ学派が大部分を占める。
 ニヤーヤ学派というのは、のちに大成して重要な学派となった実在論的論理学派、すなわち、認識論や論証学などを媒介に実在を論理学的に究明しようとする学派である。この学派の思想がナーガールジュナの時代に、どの点までかたまっていたかは不明であるが、ニヤーヤ学派の基本的な考え方が『論争の超越』にあらわれていることは明白であり、のちのニヤーヤ学徒も、ナーガールジュナのこの反駁を眼中において議論を展開している。そのような意味から、この書は論理学史上に重要な位置を占め、貴重な材料を提供している。