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十方無量の仏は知る所尽くさざるは無し。我れ今悉く前に於いて諸もろの黒悪を発露せん。三三合して九種なり。三より煩悩起こる。今身若しは先身の是の罪を尽く懺悔せん。 | 十方無量の仏は知る所尽くさざるは無し。我れ今悉く前に於いて諸もろの黒悪を発露せん。三三合して九種なり。三より煩悩起こる。今身若しは先身の是の罪を尽く懺悔せん。 |
2024年12月11日 (水) 09:19時点における最新版
四法
法宝の中に於て4種ある。
- 教法、三世諸佛の所説無明煩悩を破する声名句文なり。
- 理法、教法所詮の義理なり。
- 行法、理に依って行ずる戒定慧なり。
- 果法、行滿じて得る所の有爲無爲の証果なり。〔大乘本生心地觀經2 T3-299b〕
又 菩薩修行の四法もある。
- 不捨菩提心。
- 不捨善知識。
- 不捨湛忍愛樂。
- 不捨阿練若。 〔大乗記法経〕
又 「信解行証」の四法というのもある。
十住毘婆沙論の四法
『十住毘婆沙論』除業品第10に、不退を求める菩薩の行業として、以下の四法をあげる。これは『菩提資糧論』49-54偈とほぼ一致する。
〔懺悔〕
十方無量の仏は知る所尽くさざるは無し。我れ今悉く前に於いて諸もろの黒悪を発露せん。三三合して九種なり。三より煩悩起こる。今身若しは先身の是の罪を尽く懺悔せん。
三悪道の中に於いて若し応さに業報を受くべきならば、願わくは今身に於いて償い、悪道に入りて受けざらん。
〔勧請〕
十方の一切の仏にして現在成道せる者に、我れは法輪を転じて諸もろの衆生を安楽にせんことを請う。十方の一切の仏、若し寿命を捨てんと欲せば、我れ今、頭面にて礼し、勧請して久住せしめん。
〔随喜〕
所有る布施の福、持戒、修禅の行は、身口意より生ず。去末今の所有る三乗を習行する人と三乗を具足する者と一切の凡夫との福に、皆な随って而も歓喜す。
〔廻向〕
我が所有る福徳は、一切を皆な和合して、諸もろの衆生の為めの故に、正しく仏道に廻向す。
浄土真宗の四法
- 教法、淨土の大無量壽經なり。
- 行法、第十七願成就の名號なり。
- 信法、第十八願成就の信心なり。
- 証法、第十一願成就の至滅度なり。
此の四法を以て一宗を總該す、即ち一宗の本典を教行信證と題する之が爲なり。而て之を前の四法に對すれば教行證の三は名義共に同じく、理と信とは其の名異にして其の意同じきなり、何となれば聖道は本具の理性を以て成佛の眞因となし淨土眞實は阿彌陀廻施の信心を以て證悟の眞因となす、理と信と其の所依を異にし其の性相を別にするも菩提の正因なるは即ち一なり。
然るに法然上人の選択集は教行證の三法を以って淨土一教を該収せられたり、是れ念佛爲本の宗意にて信を行に攝めて三法となし、念佛爲本の化儀に依れるなり。
然るに親鸞聖人は更に一歩を進めて行中所具の信を開きて四法となし信心爲本の化儀を張られしなり、然れども信解本とより不離なれば開けば四法なるも合すれば三法なり、且つ所信能信に約して之を分別する時は信を行の中に擬めて教行證の三法を所信となし、信を以って行者歸命の心となすなり。本典の内題には数行證文類となし、其の序に「敬信眞宗教行証」とせられたる所以なり。