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彼の旅行記『[[ほっけんでん|法顕伝]]』(『[[ぶっこくき|仏国記]]』『[[れきゆうてんじくきでん|歴遊天竺記伝]]』ともいう)は当時のインドや中央アジアの実情を伝えた貴重なものである。 | 彼の旅行記『[[ほっけんでん|法顕伝]]』(『[[ぶっこくき|仏国記]]』『[[れきゆうてんじくきでん|歴遊天竺記伝]]』ともいう)は当時のインドや中央アジアの実情を伝えた貴重なものである。 | ||
なお法顕の伝記は『法顕伝』や、それに基づく『[[こうそうでん|高僧伝]]』(3)所収伝などを通じてわが国に紹介され、『[[さんごくでんき|三国伝記]]』(3-17)などはそれを説話的に書いている。 | なお法顕の伝記は『法顕伝』や、それに基づく『[[こうそうでん|高僧伝]]』(3)所収伝などを通じてわが国に紹介され、『[[さんごくでんき|三国伝記]]』(3-17)などはそれを説話的に書いている。 |
2008年1月14日 (月) 17:18時点における最新版
法顕
生没年未詳。
中国山西省平陽に生まれ、出家後、それまでの中国に伝わっていた戒律類の不備をなげき、399年、60歳のころ長安を発ち、約17年間のインドへ行く。414年ただ1人帰国した。
帰国の後、仏駄跋陀羅(ぶっだばっだら)と共に『摩訶僧祇律』や『大般泥洹経』を訳出した。
彼の旅行記『法顕伝』(『仏国記』『歴遊天竺記伝』ともいう)は当時のインドや中央アジアの実情を伝えた貴重なものである。
なお法顕の伝記は『法顕伝』や、それに基づく『高僧伝』(3)所収伝などを通じてわが国に紹介され、『三国伝記』(3-17)などはそれを説話的に書いている。