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唯識説では四不定法の一つ。〔唯識三十頌 T31-60c〕 | 唯識説では四不定法の一つ。〔唯識三十頌 T31-60c〕 | ||
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2019年3月9日 (土) 20:05時点における版
止
nara-kṝ
拒否する、拒絶すること。「菩薩は若し求請あれば希求するところを止することなし」
śamatha (S)
息を対象として心を静める阿那阿波那念における6つの方法(数.随・止・観・転・浄)の1つ。心を身体の鼻の端、あるいは眉間などの、ある一か所に心を集中させて、心を静かに安定させる方法。
- 止、謂、繋念、唯在鼻端、或在眉間乃至足指。随所楽処、安止其心。観息住身、如珠中縷為冷、為煖、為損、為益。 〔『倶舎』22、T29-118b〕
思
cetanā (S)
心の動機づけの作用。心がある方面に動機づけられること。志向。意志の発動。思うという精神上の動作。インド一般では、意志作用をも含める。心を動かすはたらき。小乗アピダルマでは十大地法の心所の一つ。
- 心の造作 citta-abhisaṃskāra
- 意のはたらき manasaś ceṣṭā
志向、思考、五遍行の心所の一つ。身・語・意の三業をつくる心作用であり、業の体。
- 思の心所とは心を善にも悪にも無記にも作りなす心也。 〔唯識大意〕
伺
vicāra (S)
観察的な微細な心のはたらき。細かに事物を考察させる心のはたらき。考察。
唯識説では四不定法の一つ。〔唯識三十頌 T31-60c〕
- 物を言んとて万の事を推し量る心也、取て深く分別する時をぱ伺と名る也。 〔唯識大意〕
志
saṃkappa (P)
思惟に同じ。決意。こうと決まった考え。〔雑阿含経28 T2-203a〕〔往生要集 T84-46b〕
「無上志」(さとりを求める心。)〔大智度論4 T25-88b〕
citta (p)
記憶の主体としての度心。〔那先比丘経 T32-701a〕
事実を記載したもの。〔仏祖統紀25 T49-132c〕