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− | + | モンゴル語『大蔵経』はインドにおいて成立した仏典が8世紀以降の数世紀にわたって、サンスクリット語原典のモンゴル語訳及びウイグル語訳、チベット語訳や中国語訳からの重訳を含む仏典の集成である。特に、仏教を取り入れるにあたって、サンスクリット語経典の原典からモンゴル語へ逐語訳的に翻訳がなされたこともあり、インド仏教の原典解明にとって不可欠な資料とされている。モンゴル語『大蔵経』の構成は、『ガンジョール』(律と経)と『ダンジョール』(論)からなっており、モンゴルでそれぞれ『ガンジョール』(γanjuur), 『ダンジョール』(danjuur)と言う。その内容は古代インドの三蔵及びチベット語『大蔵経』の内容ばかりでなく、それ以外のモンゴル語翻訳者たちの作品も包括しておる。 | |
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− | + | ==成立過程== | |
+ | モンゴル語『大蔵経』は大きく分けて三つの段階を要して成立したと考えられる。す | ||
+ | なわち、初期時代(8世紀-1206)のモンゴル地域に興亡したモンゴル・トルコ系 | ||
+ | 諸民族の仏典との接触の段階、中期時代(1206-1644)のモンゴル帝国、元朝 | ||
+ | と北元のモンゴル語『大蔵経』翻訳事業の段階、及び後期時代(1644-1911) | ||
+ | の清朝の整理、増補、校正、開版による完成の段階である。 | ||
− | + | ===初期時代=== | |
− | + | モンゴルへの仏典の伝来時期に関しては、仏教の前後期及びわれわれの手元にある情報から見て、遥か8世紀ごろと考えられる。仏教史書『ガンジョール通読源起録』では、「ガンジョール」の仏説毘奈耶経をインドの班第達からサマゲハセナらクシャーンの8人の僧侶が受け取り、彼らからカリヤナラケザダ(Kalyana raktsa)らウイグルの20人の僧侶に、そして彼らからオイバ・ロソルサンジャイブムらチベットの僧侶が受け取ったことを記している。また、モンゴル仏教史学者ジャバ・ダムデン・ガバチョウ (1897-1937)の『Altan debter』では、ソグドの教師たちがウイグル人とモンゴル人に字を書くこと、読むこと、及び仏典を自分たちの言語に翻訳することを教えた。その時、「ウイグル人とモンゴル人がソグド文の善教諭(ガンジョール)を読む際に、インド語と自分たちの言語を混ぜて翻訳した…、それで、現在わがモンゴルの経文がインド語、ウイグル語、モンゴル語を混ぜるようになった」と記されている。<br> | |
+ | 以上の仏教史書の記述などから、インドの三蔵と言う仏典が8世紀の時から中央アジア及び西域を経由して、モンゴルへ伝来したということが考えられる。 | ||
− | == | + | ===中期時代=== |
− | + | 中期時代に集大成された『ガンジョール』の翻訳、編集、校訂過程を三段階に分けて考えることが出来よう。<br> | |
− | + | その第一段階は、チンギス・ハーン(1162-1227)、オゴタイ・ハーン(在位1229-1241)、グユゲ・ハーン(在位1246-1248)が政治的な意図を目的とし、常に仏教に優遇政策を打ち出し、仏教僧侶および彼らが伝える教法に興味を持つようになった。そして、チンギス・ハーンの孫ホデン太子は、チベットよりかねて令名高きサキャ派の高僧サキャ・パンチェンを招き、1247年、両者は蘭州に集まって相会した。このできごとをもって、モンゴルへのチベット仏教公伝とすることができる。下って高僧サキャの宗教的活動に伴い、仏典のモンゴル語訳が必要不可欠となることは言うまでもないと思うが、今のところ実証性に欠け物証と見なされていない。<br> | |
+ | その第二段階は、フビライ・ハーン(1215-1296)が即位すると、サキャ派のパクパ(1235-1280)が元の帝師に任じられた。その後仏教が国教と定められると共に、チベット仏教の寺院も次から次へと建てられ、モンゴル諸部族に広く浸透した。以来、サンスクリット語原典及びチベット語訳、ウイグル語訳や中国語訳からの重訳を含む仏典がモンゴル語へ翻訳されるなど、チベット密教系の仏教研究も大都(北京)を中心にして盛んに行われた。現存史書『エルデニ·イン·トブチ(蒙古源流)』、『ドッソンのモンゴル史』の記述によると、ウルジト·ハーン(在位1297―1307)、ハイサン·フルゲハーン(在位1308―1311)の時、サキャ高僧チオイジオドセルらが『ガンジョール』の大部分及び『ダンジョール』の一部分のモンゴル語訳を完成させた。<br> | ||
+ | その第三段階は、北元初めの200年の間にモンゴル仏教が一時期壊滅状態であったため、仏典のモンゴル語訳にも影響を与えた。その後、アルタン・ハーン(1507-1582)の時代にダライラマ三世ソナム・ギャツォ(1543ー1588)がモンゴルに招請された事やゲルクパ教がモンゴルへ伝播された事等によって、モンゴルの訳経は次第に盛んになり、1602年—1607年にシレート·グーシ·チョルジとアナンダ·アユーシ·グーシ等によって最初のモンゴル語写本『ガンジョール』が完成され、仏典のモンゴル語訳は全盛期を迎えた。これをモンゴル年代記『アルタン·ハーン伝』(AQT)に「壬寅年(1602)から丁未年(1607)にかけて、ナムタイ·セチェン·ハーン、ジュンゲン·ハトンとホン·タイジらが、シレート·グーシ・チョルジ、アユーシ・アナンダ・マンジュシリ·グーシ等と三トウメンの通事や賢者に、百八帙の『ガンジョール』をモンゴル語に翻訳させて、書籍となして安置した」と記されいる。<br> | ||
+ | そして、リグデン·ハーン(在位1604—1634)の時代、グンガオドセル、サムダン·センゲをはじめとする人々が、リグデン·ハーン(1592-1634)の勅命によって、1628年—1629年にかけて有名な写本金字モンゴル語『ガンジョール』が完成したとモンゴル史書『アルタン·トブチ』、『アルタン·エリヘ』とイシバルジョルの『モンゴル仏教史』などに記録されている6。当時、この『ガンジョール』は、モンゴル地域における最上の「大蔵経」として写本でながらく流布していた。 | ||
+ | ===後期時代=== | ||
− | + | 清朝時代、仏典のモンゴル語訳が新しい発展時期に入った。康熙五十六年から五十九年(1717—1720年)において、1683年北京版『チベット大蔵経』を底本にし、リグデン·ハーン(在位1604—1634)時代の写本金字モンゴル『大蔵経』を整理、増補、校正して、モンゴル語木版『ガンジョール』が北京で開版された。漢文資料では『如来大蔵経』又は『藩蔵経』とも言われる。このモンゴル語木版『ガンジョール』が108帙と『ガンジョール目録』1帙になり、収めた経典が1161種に至る。<br> | |
+ | モンゴル語木版『ガンジョール』の新版が完成後、『ダンジョール』のモンゴル語訳と刊行が緊急の課題として強く要請されていた。乾隆皇帝(在位1736-1795)の勅命によって、ザンギャー·ホトクト二世·ロルビドルジ(1717—1786年)が、乾隆7年(1742)蔵蒙対訳辞典『翻訳名義集』を完成させた。そして、ザンギャー·ホトゴト二世·ロルビドルジとロブサン·ダンビ·ニマ(1689-1762)を中心とするモンゴルの仏教界の先達たちの努力で、乾隆七年から十四年(1742—1749年)まで8年かけて、モンゴル語木版『ダンジョール』の新訳、及び改訳がなされ刊行された。底本は1724年北京版チベット語『ダンジョール』である。このモンゴル語木版『ダンジョール』が225帙になり、収めた作品が3861種に至る。 | ||
+ | ==内容== | ||
+ | 『大蔵経』を経、律、論の三蔵に分類するのは一般的であるが、モンゴル語『大蔵経』の内容の分類は少し異なっている。すなわち『ガンジョール』及び『ダンジョール』の二部に大別する。『ガンジョール』とは仏説諸種の経典であり、『ダンジョール』とは祖師部或は論述部と訳し、論述した研究的なものが主となっている。更に内容によって『ダンジョール』を細分すると写本『ガンジョール』と木版『ガンジョール』の分類方法が異同になる。ここでザ·カ·カシャネンコのモンゴル写本『ガンジョールの目録』とルイス·レケトのモンゴル木版『ガンジョールの目録』を比べてみると次のようになる。<br> | ||
+ | 写本『ガンジョール』の分類は①秘密経部26帙523件、②大般若部12帙12件、③第二般若部(二万五千頌)4帙4件、④第二大般若部(一万八千頌)2帙3件、⑤八千頌1帙1件、⑥一万頌2帙1件、⑦華厳経部6帙11件、⑧寶積経部6帙42件、⑨律師戒行経部13帙119件、⑩諸品経部40帙167件、全部113帙883件の作品から構成されているのに対して、1720年の北京版モンゴル語『ガンジョール』の分類は①秘密経部25帙745 件、②般若経部22帙47 件、③寶積経部6帙50 件、④華厳経部6帙7 件、⑤諸品経部33帙245 件、⑥律師戒行経部16帙35 件、全部で109 帙1061件作品から構成されている。現存するモンゴル語『ガンジョール』は、 | ||
− | + | # モンゴル:国立図書館保管写本76帙、北京木版107帙。 | |
+ | # 中国:国立図書館保管北京木版108帙。民族図書館保管北京木版108帙。内モンゴル図書館保管北京木版108帙。内モンゴル大学図書館保管北京木版109帙。内モンゴル師範大学図書館保管北京木版1帙。内モンゴル社会科学院図書館保管金字写本19巻、竹筆写本108帙、朱墨套印写本22帙、北京木版109帙。チベット・ポタラ宮保管北京木版109帙。内モンゴル自冶区フフホト市シレト昭保管竹筆写本109帙。個人保管北京木版1帙。 | ||
+ | # 日本:東洋文庫保管北京木版108帙。元京都帝国大学(現京都大学)教授内藤湖南(1866-1934)保管金字写本『モンゴル大蔵経』(1葉、東京帝国大学<現東京大学>図書館保管金字写本『モンゴル大蔵経』が1923年関東地震で消失した)。モンゴル語『ガンジョール』の近代的研究の扉は内藤湖南によって開かれた。 | ||
+ | # イギリス:ロンドン大英博物館保管(73頁)。ロンドン東方與アフリカ研究所保管(34頁)。 | ||
+ | # アメリカ:シカゴ極東図書館保管(72頁)。シカゴニューベリ(ベルトルト ラウファー収集)図書館保管(1907頁)。 | ||
+ | # フランス:パリフランス学院図書館保管北京木版109帙(ハンガリーのモンゴル学者ルイス·レケト教授が1942年にモンゴル木版『ガンジョールの目録』を出版した)。 | ||
+ | # ドイツ:マールブルク国立図書館(119篇)。 | ||
+ | # スウェーデン:ストックホルム人種学博物館保管(40頁以上)。 | ||
+ | # デンマーク:コペンハーゲン王室図書館保管(写本300 頁)。 | ||
+ | # ロシア:ロシア科学アカデミーアジア研究院保管写本113 帙(ザ·カ·カシャネンコが1993年にモンゴル写本『ガンジョールの目録』を出版した)。ブリヤード社会科学院図書館保管写本113 帙。 | ||
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+ | 1749年の北京版モンゴル『ダンジョール』を①頌賛部, ②密教部と③般若部に分類する。頌賛部に1帙63件、密教部に86帙3017件、般若部に136帙781件で、合わせて225帙3861件作品が含まれている。現存するモンゴル語木版『ダンジョール』は<br> | ||
+ | ①モンゴル国:国立図書館保管北京木版226帙(B.リンチンが1964年と1974年に、モンゴル語木版『ダンジョールの目録』を出版した)。<br> | ||
+ | ②中国:内モンゴル図書館保管北京木版225巻。内モンゴル社会科学院図書館保管北京木版225巻。<br> | ||
+ | ③日本国:京都大学保管北京木版(一部)<br> | ||
+ | モンゴル語『ダンジョール』についての近代的研究は、ロシアのモンゴル学者B·Y·ウラヂミルツォフが1926 年にモンゴル語「ダンジョール」という論文を発表以後のことになる。 | ||
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+ | *モンゴル語『大蔵経』について〔On the Mongolian Ganjuur and Danjuur〕:デルヒ Delehei |
2023年7月11日 (火) 22:20時点における最新版
モンゴル大蔵経
モンゴル語『大蔵経』はインドにおいて成立した仏典が8世紀以降の数世紀にわたって、サンスクリット語原典のモンゴル語訳及びウイグル語訳、チベット語訳や中国語訳からの重訳を含む仏典の集成である。特に、仏教を取り入れるにあたって、サンスクリット語経典の原典からモンゴル語へ逐語訳的に翻訳がなされたこともあり、インド仏教の原典解明にとって不可欠な資料とされている。モンゴル語『大蔵経』の構成は、『ガンジョール』(律と経)と『ダンジョール』(論)からなっており、モンゴルでそれぞれ『ガンジョール』(γanjuur), 『ダンジョール』(danjuur)と言う。その内容は古代インドの三蔵及びチベット語『大蔵経』の内容ばかりでなく、それ以外のモンゴル語翻訳者たちの作品も包括しておる。
成立過程
モンゴル語『大蔵経』は大きく分けて三つの段階を要して成立したと考えられる。す なわち、初期時代(8世紀-1206)のモンゴル地域に興亡したモンゴル・トルコ系 諸民族の仏典との接触の段階、中期時代(1206-1644)のモンゴル帝国、元朝 と北元のモンゴル語『大蔵経』翻訳事業の段階、及び後期時代(1644-1911) の清朝の整理、増補、校正、開版による完成の段階である。
初期時代
モンゴルへの仏典の伝来時期に関しては、仏教の前後期及びわれわれの手元にある情報から見て、遥か8世紀ごろと考えられる。仏教史書『ガンジョール通読源起録』では、「ガンジョール」の仏説毘奈耶経をインドの班第達からサマゲハセナらクシャーンの8人の僧侶が受け取り、彼らからカリヤナラケザダ(Kalyana raktsa)らウイグルの20人の僧侶に、そして彼らからオイバ・ロソルサンジャイブムらチベットの僧侶が受け取ったことを記している。また、モンゴル仏教史学者ジャバ・ダムデン・ガバチョウ (1897-1937)の『Altan debter』では、ソグドの教師たちがウイグル人とモンゴル人に字を書くこと、読むこと、及び仏典を自分たちの言語に翻訳することを教えた。その時、「ウイグル人とモンゴル人がソグド文の善教諭(ガンジョール)を読む際に、インド語と自分たちの言語を混ぜて翻訳した…、それで、現在わがモンゴルの経文がインド語、ウイグル語、モンゴル語を混ぜるようになった」と記されている。
以上の仏教史書の記述などから、インドの三蔵と言う仏典が8世紀の時から中央アジア及び西域を経由して、モンゴルへ伝来したということが考えられる。
中期時代
中期時代に集大成された『ガンジョール』の翻訳、編集、校訂過程を三段階に分けて考えることが出来よう。
その第一段階は、チンギス・ハーン(1162-1227)、オゴタイ・ハーン(在位1229-1241)、グユゲ・ハーン(在位1246-1248)が政治的な意図を目的とし、常に仏教に優遇政策を打ち出し、仏教僧侶および彼らが伝える教法に興味を持つようになった。そして、チンギス・ハーンの孫ホデン太子は、チベットよりかねて令名高きサキャ派の高僧サキャ・パンチェンを招き、1247年、両者は蘭州に集まって相会した。このできごとをもって、モンゴルへのチベット仏教公伝とすることができる。下って高僧サキャの宗教的活動に伴い、仏典のモンゴル語訳が必要不可欠となることは言うまでもないと思うが、今のところ実証性に欠け物証と見なされていない。
その第二段階は、フビライ・ハーン(1215-1296)が即位すると、サキャ派のパクパ(1235-1280)が元の帝師に任じられた。その後仏教が国教と定められると共に、チベット仏教の寺院も次から次へと建てられ、モンゴル諸部族に広く浸透した。以来、サンスクリット語原典及びチベット語訳、ウイグル語訳や中国語訳からの重訳を含む仏典がモンゴル語へ翻訳されるなど、チベット密教系の仏教研究も大都(北京)を中心にして盛んに行われた。現存史書『エルデニ·イン·トブチ(蒙古源流)』、『ドッソンのモンゴル史』の記述によると、ウルジト·ハーン(在位1297―1307)、ハイサン·フルゲハーン(在位1308―1311)の時、サキャ高僧チオイジオドセルらが『ガンジョール』の大部分及び『ダンジョール』の一部分のモンゴル語訳を完成させた。
その第三段階は、北元初めの200年の間にモンゴル仏教が一時期壊滅状態であったため、仏典のモンゴル語訳にも影響を与えた。その後、アルタン・ハーン(1507-1582)の時代にダライラマ三世ソナム・ギャツォ(1543ー1588)がモンゴルに招請された事やゲルクパ教がモンゴルへ伝播された事等によって、モンゴルの訳経は次第に盛んになり、1602年—1607年にシレート·グーシ·チョルジとアナンダ·アユーシ·グーシ等によって最初のモンゴル語写本『ガンジョール』が完成され、仏典のモンゴル語訳は全盛期を迎えた。これをモンゴル年代記『アルタン·ハーン伝』(AQT)に「壬寅年(1602)から丁未年(1607)にかけて、ナムタイ·セチェン·ハーン、ジュンゲン·ハトンとホン·タイジらが、シレート·グーシ・チョルジ、アユーシ・アナンダ・マンジュシリ·グーシ等と三トウメンの通事や賢者に、百八帙の『ガンジョール』をモンゴル語に翻訳させて、書籍となして安置した」と記されいる。
そして、リグデン·ハーン(在位1604—1634)の時代、グンガオドセル、サムダン·センゲをはじめとする人々が、リグデン·ハーン(1592-1634)の勅命によって、1628年—1629年にかけて有名な写本金字モンゴル語『ガンジョール』が完成したとモンゴル史書『アルタン·トブチ』、『アルタン·エリヘ』とイシバルジョルの『モンゴル仏教史』などに記録されている6。当時、この『ガンジョール』は、モンゴル地域における最上の「大蔵経」として写本でながらく流布していた。
後期時代
清朝時代、仏典のモンゴル語訳が新しい発展時期に入った。康熙五十六年から五十九年(1717—1720年)において、1683年北京版『チベット大蔵経』を底本にし、リグデン·ハーン(在位1604—1634)時代の写本金字モンゴル『大蔵経』を整理、増補、校正して、モンゴル語木版『ガンジョール』が北京で開版された。漢文資料では『如来大蔵経』又は『藩蔵経』とも言われる。このモンゴル語木版『ガンジョール』が108帙と『ガンジョール目録』1帙になり、収めた経典が1161種に至る。
モンゴル語木版『ガンジョール』の新版が完成後、『ダンジョール』のモンゴル語訳と刊行が緊急の課題として強く要請されていた。乾隆皇帝(在位1736-1795)の勅命によって、ザンギャー·ホトクト二世·ロルビドルジ(1717—1786年)が、乾隆7年(1742)蔵蒙対訳辞典『翻訳名義集』を完成させた。そして、ザンギャー·ホトゴト二世·ロルビドルジとロブサン·ダンビ·ニマ(1689-1762)を中心とするモンゴルの仏教界の先達たちの努力で、乾隆七年から十四年(1742—1749年)まで8年かけて、モンゴル語木版『ダンジョール』の新訳、及び改訳がなされ刊行された。底本は1724年北京版チベット語『ダンジョール』である。このモンゴル語木版『ダンジョール』が225帙になり、収めた作品が3861種に至る。
内容
『大蔵経』を経、律、論の三蔵に分類するのは一般的であるが、モンゴル語『大蔵経』の内容の分類は少し異なっている。すなわち『ガンジョール』及び『ダンジョール』の二部に大別する。『ガンジョール』とは仏説諸種の経典であり、『ダンジョール』とは祖師部或は論述部と訳し、論述した研究的なものが主となっている。更に内容によって『ダンジョール』を細分すると写本『ガンジョール』と木版『ガンジョール』の分類方法が異同になる。ここでザ·カ·カシャネンコのモンゴル写本『ガンジョールの目録』とルイス·レケトのモンゴル木版『ガンジョールの目録』を比べてみると次のようになる。
写本『ガンジョール』の分類は①秘密経部26帙523件、②大般若部12帙12件、③第二般若部(二万五千頌)4帙4件、④第二大般若部(一万八千頌)2帙3件、⑤八千頌1帙1件、⑥一万頌2帙1件、⑦華厳経部6帙11件、⑧寶積経部6帙42件、⑨律師戒行経部13帙119件、⑩諸品経部40帙167件、全部113帙883件の作品から構成されているのに対して、1720年の北京版モンゴル語『ガンジョール』の分類は①秘密経部25帙745 件、②般若経部22帙47 件、③寶積経部6帙50 件、④華厳経部6帙7 件、⑤諸品経部33帙245 件、⑥律師戒行経部16帙35 件、全部で109 帙1061件作品から構成されている。現存するモンゴル語『ガンジョール』は、
- モンゴル:国立図書館保管写本76帙、北京木版107帙。
- 中国:国立図書館保管北京木版108帙。民族図書館保管北京木版108帙。内モンゴル図書館保管北京木版108帙。内モンゴル大学図書館保管北京木版109帙。内モンゴル師範大学図書館保管北京木版1帙。内モンゴル社会科学院図書館保管金字写本19巻、竹筆写本108帙、朱墨套印写本22帙、北京木版109帙。チベット・ポタラ宮保管北京木版109帙。内モンゴル自冶区フフホト市シレト昭保管竹筆写本109帙。個人保管北京木版1帙。
- 日本:東洋文庫保管北京木版108帙。元京都帝国大学(現京都大学)教授内藤湖南(1866-1934)保管金字写本『モンゴル大蔵経』(1葉、東京帝国大学<現東京大学>図書館保管金字写本『モンゴル大蔵経』が1923年関東地震で消失した)。モンゴル語『ガンジョール』の近代的研究の扉は内藤湖南によって開かれた。
- イギリス:ロンドン大英博物館保管(73頁)。ロンドン東方與アフリカ研究所保管(34頁)。
- アメリカ:シカゴ極東図書館保管(72頁)。シカゴニューベリ(ベルトルト ラウファー収集)図書館保管(1907頁)。
- フランス:パリフランス学院図書館保管北京木版109帙(ハンガリーのモンゴル学者ルイス·レケト教授が1942年にモンゴル木版『ガンジョールの目録』を出版した)。
- ドイツ:マールブルク国立図書館(119篇)。
- スウェーデン:ストックホルム人種学博物館保管(40頁以上)。
- デンマーク:コペンハーゲン王室図書館保管(写本300 頁)。
- ロシア:ロシア科学アカデミーアジア研究院保管写本113 帙(ザ·カ·カシャネンコが1993年にモンゴル写本『ガンジョールの目録』を出版した)。ブリヤード社会科学院図書館保管写本113 帙。
1749年の北京版モンゴル『ダンジョール』を①頌賛部, ②密教部と③般若部に分類する。頌賛部に1帙63件、密教部に86帙3017件、般若部に136帙781件で、合わせて225帙3861件作品が含まれている。現存するモンゴル語木版『ダンジョール』は
①モンゴル国:国立図書館保管北京木版226帙(B.リンチンが1964年と1974年に、モンゴル語木版『ダンジョールの目録』を出版した)。
②中国:内モンゴル図書館保管北京木版225巻。内モンゴル社会科学院図書館保管北京木版225巻。
③日本国:京都大学保管北京木版(一部)
モンゴル語『ダンジョール』についての近代的研究は、ロシアのモンゴル学者B·Y·ウラヂミルツォフが1926 年にモンゴル語「ダンジョール」という論文を発表以後のことになる。
- モンゴル語『大蔵経』について〔On the Mongolian Ganjuur and Danjuur〕:デルヒ Delehei