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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(ページの作成:「=三帰依文= :;自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上意 :;自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海 :;自帰依僧 当願衆生 ...」)
 
(三帰依文)
 
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                              〔華厳経・浄行品、T09.0430c〕
 
                              〔華厳経・浄行品、T09.0430c〕
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 単独に流布してきたものである。原文からは若干離れた読み方.受けとり方がなされるようになった。すなわち、たとえば初めの偈の第二句以下は、本来的には「まさに願わくは、衆生の大道を体解して無上意を発さんことを」と読むべきもので、「〔菩薩は〕かならず、衆生が仏の大いなる道を理解・体得して、この上ない心を発すようにと願う」という意味である。これが、私たちの誰もが衆生の一人として、衆生とともに願う誓願のことばとなっている。

2024年10月25日 (金) 16:12時点における最新版

三帰依文

自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上意
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無礙
 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上〔の〕意を発さん。
 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
 自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無礙ならん。

                              〔華厳経・浄行品、T09.0430c〕

 単独に流布してきたものである。原文からは若干離れた読み方.受けとり方がなされるようになった。すなわち、たとえば初めの偈の第二句以下は、本来的には「まさに願わくは、衆生の大道を体解して無上意を発さんことを」と読むべきもので、「〔菩薩は〕かならず、衆生が仏の大いなる道を理解・体得して、この上ない心を発すようにと願う」という意味である。これが、私たちの誰もが衆生の一人として、衆生とともに願う誓願のことばとなっている。