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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(本地)
 
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 所現の[[けしん|化身]]に対して、能現の本身を本地という。能現所現が相望重々であるので、本地もまた重々であって一定せず、ただ仏の[[じっそう|実相]][[ほっしん|法身]]、即ち究極の本地である。これを越えて更に能現の実身はないからである。これによって地法身と言う。本地即法身である。
 
 所現の[[けしん|化身]]に対して、能現の本身を本地という。能現所現が相望重々であるので、本地もまた重々であって一定せず、ただ仏の[[じっそう|実相]][[ほっしん|法身]]、即ち究極の本地である。これを越えて更に能現の実身はないからである。これによって地法身と言う。本地即法身である。
  
:本地法身は即ち実相法身である。一に真実の相は萬化の本を為す。これは地において萬物の依を為すようなものである。このために、本地と言う。法身というのは、これが実相であり、よく萬化を軌持する。即ち、この軌持仮に名を身とする。法即ち身であるから、本地即ち法身である。    〔法華経演密鈔〕
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本地法身は即ち実相法身である。一に真実の相は萬化の本を為す。これは地において萬物の依を為すようなものである。このために、本地と言う。法身というのは、これが実相であり、よく萬化を軌持する。即ち、この軌持仮に名を身とする。法即ち身であるから、本地即ち法身である。    〔法華経演密鈔〕

2017年4月13日 (木) 15:54時点における最新版

本地

 所現の化身に対して、能現の本身を本地という。能現所現が相望重々であるので、本地もまた重々であって一定せず、ただ仏の実相法身、即ち究極の本地である。これを越えて更に能現の実身はないからである。これによって地法身と言う。本地即法身である。

本地法身は即ち実相法身である。一に真実の相は萬化の本を為す。これは地において萬物の依を為すようなものである。このために、本地と言う。法身というのは、これが実相であり、よく萬化を軌持する。即ち、この軌持仮に名を身とする。法即ち身であるから、本地即ち法身である。    〔法華経演密鈔〕