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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(一切智)
 
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sarva-jJaataa (skt) 「[[さばにゃた|薩婆若多]]」と音写される
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<big>sarva-jñātā</big> (S) 「[[さばにゃた|薩婆若多]]」と音写される
  
 
 すべての存在に関して概括的に知る智慧が[[いっさいち|一切智]]であり、[[ぼさつ|菩薩]]が衆生を教化するために道の種別を知り尽くす智慧が[[どうえ|道慧]]であり、すべての存在に関して平等の相に即して差別の相を更に精細に知る智慧が[[いっさいしゅち|一切種智]]である。
 
 すべての存在に関して概括的に知る智慧が[[いっさいち|一切智]]であり、[[ぼさつ|菩薩]]が衆生を教化するために道の種別を知り尽くす智慧が[[どうえ|道慧]]であり、すべての存在に関して平等の相に即して差別の相を更に精細に知る智慧が[[いっさいしゅち|一切種智]]である。
  
:[[ぼさつ|菩薩]]の衆生を度する智慧を名づけて、道慧となす。…(中略)…薩婆若(さばにゃ)慧は是れ[[しょうもん|声聞]]・[[びゃくしぶつ|辟支仏]]の事、一切種智慧は是れ諸仏の事、道種慧は是れ菩薩の事なり。復た次に、八聖道分を実道と為す。衆生をして、種々の因縁をもって道に入らしむ、是れを道慧と名づけ、衆生をして、道の中に住せしむ、是れを声聞種・辟支仏種・仏種を利益すと為す    〔大智度論巻35 T25-321c〕
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: 一切智人の、かの智(tad etad sarvajña-jñānaṃ)とは、悲を根となし、菩提心を因となし、方便を究竟となす。〔『大日経』住心品〕
  
:釈して曰く、菩薩は、般若波羅蜜を行ずるに、薩婆若と過去世と同じと観ぜず。何となれば、過去世は是れ虚妄、[[さばにゃ|薩婆若]]は是れ実法、過去世は是れ生滅の相、薩婆若は生滅の相に非ざればなり。過去世及び法は、求覓するも不可得なり。何に況んや薩婆若と過去世と合せんや。(中略)復た次に薩婆若は、是れ十方三世諸仏の真実の智慧なり。三世は凡夫の虚妄より生ず。云何ぞ薩婆若と合せん。譬えば真金の弊鉄と同相ならざるが如し    〔大智度論巻37 T25-329c〕
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: [[ぼさつ|菩薩]]の衆生を度する智慧を名づけて、道慧となす。…(中略)…薩婆若(さばにゃ)慧は是れ[[しょうもん|声聞]]・[[びゃくしぶつ|辟支仏]]の事、一切種智慧は是れ諸仏の事、道種慧は是れ菩薩の事なり。復た次に、八聖道分を実道と為す。衆生をして、種々の因縁をもって道に入らしむ、是れを道慧と名づけ、衆生をして、道の中に住せしむ、是れを声聞種・辟支仏種・仏種を利益すと為す    〔『大智度論』35 T25-321c〕
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: 釈して曰く、菩薩は、般若波羅蜜を行ずるに、薩婆若と過去世と同じと観ぜず。何となれば、過去世は是れ虚妄、[[さばにゃ|薩婆若]]は是れ実法、過去世は是れ生滅の相、薩婆若は生滅の相に非ざればなり。過去世及び法は、求覓するも不可得なり。何に況んや薩婆若と過去世と合せんや。(中略)復た次に薩婆若は、是れ十方三世諸仏の真実の智慧なり。三世は凡夫の虚妄より生ず。云何ぞ薩婆若と合せん。譬えば真金の弊鉄と同相ならざるが如し    〔『大智度論』37 T25-329c〕

2024年11月19日 (火) 14:54時点における最新版

一切智

sarva-jñātā (S) 「薩婆若多」と音写される

 すべての存在に関して概括的に知る智慧が一切智であり、菩薩が衆生を教化するために道の種別を知り尽くす智慧が道慧であり、すべての存在に関して平等の相に即して差別の相を更に精細に知る智慧が一切種智である。

 一切智人の、かの智(tad etad sarvajña-jñānaṃ)とは、悲を根となし、菩提心を因となし、方便を究竟となす。〔『大日経』住心品〕
 菩薩の衆生を度する智慧を名づけて、道慧となす。…(中略)…薩婆若(さばにゃ)慧は是れ声聞辟支仏の事、一切種智慧は是れ諸仏の事、道種慧は是れ菩薩の事なり。復た次に、八聖道分を実道と為す。衆生をして、種々の因縁をもって道に入らしむ、是れを道慧と名づけ、衆生をして、道の中に住せしむ、是れを声聞種・辟支仏種・仏種を利益すと為す    〔『大智度論』35 T25-321c〕
 釈して曰く、菩薩は、般若波羅蜜を行ずるに、薩婆若と過去世と同じと観ぜず。何となれば、過去世は是れ虚妄、薩婆若は是れ実法、過去世は是れ生滅の相、薩婆若は生滅の相に非ざればなり。過去世及び法は、求覓するも不可得なり。何に況んや薩婆若と過去世と合せんや。(中略)復た次に薩婆若は、是れ十方三世諸仏の真実の智慧なり。三世は凡夫の虚妄より生ず。云何ぞ薩婆若と合せん。譬えば真金の弊鉄と同相ならざるが如し    〔『大智度論』37 T25-329c〕