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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(本覚内薫)
 
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=本覚内薫=
 
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 真如本覚に内薫外縁の2用(ユウ)がある。
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 真如本覚に内薫外縁の2つの用(ユウ、はたらき)がある。
 
===内薫===
 
===内薫===
 
 内薫とは真如の体相薫習であり、無始以来無漏の法を具し、内に在って冥に衆生の妄心を薫習し、能く衆生をして知らず識らず生死の苦を厭ひ涅槃を楽求し、自ら己身に真如の法ありと信じて発心修行せしむる自然の作用なり。
 
 内薫とは真如の体相薫習であり、無始以来無漏の法を具し、内に在って冥に衆生の妄心を薫習し、能く衆生をして知らず識らず生死の苦を厭ひ涅槃を楽求し、自ら己身に真如の法ありと信じて発心修行せしむる自然の作用なり。

2023年2月2日 (木) 17:21時点における最新版

本覚内薫

 真如本覚に内薫外縁の2つの用(ユウ、はたらき)がある。

内薫

 内薫とは真如の体相薫習であり、無始以来無漏の法を具し、内に在って冥に衆生の妄心を薫習し、能く衆生をして知らず識らず生死の苦を厭ひ涅槃を楽求し、自ら己身に真如の法ありと信じて発心修行せしむる自然の作用なり。

外縁

 外縁とは真如の用薫習なり、法身より報化二身を垂れて衆生をして見仏聞法の外縁を成ぜしむる無作の作用なり。

 真如薫習の義に二種有り。云何が二と為すや。一に自の体相薫習、二には用薫習なり。自体相薫習とは、無始の世従り、来る無漏法を具し、備えて不思議の業有り。‥‥恒常に薫習。薫習力有るを以っての故に能く衆生生死の苦を厭い、涅槃を楽求し、自らの己身を信じ、真如の法有りて、発心修行せしめる。‥‥用薫習とは、即ち是の衆生の外縁の力なり。〔大乗起信論、T32.0578b〕