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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(帰命)
(帰命)
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==帰命==
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=帰命=
 
(sanskrit) namas नमस्、namaH नमः、namo नमो。音写で「[[なむ|南無]]」。訳は「[[き|帰]]命」。
 
(sanskrit) namas नमस्、namaH नमः、namo नमो。音写で「[[なむ|南無]]」。訳は「[[き|帰]]命」。
  
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総じて信心の至極を表する言葉である。
 
総じて信心の至極を表する言葉である。
  
:内の正報の中、命根を要とする。故に要命を挙げて、かの三宝に属す。これを名づけて帰とする。  ''[[きしんろん|起信論]]浄影疏'' 上
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:内の正報の中、命根を要とする。故に要命を挙げて、かの三宝に属す。これを名づけて帰とする。     〔[[きしんろん|起信論]]浄影疏 上〕
:帰とは趣向の義、命とはいわく己身の性命なり。生霊の重きところ、これより先になすことなかれ。二に、帰は敬順の義、命は諸仏の教命なり。  ''起信論義記'' 上
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:帰とは趣向の義、命とはいわく己身の性命なり。生霊の重きところ、これより先になすことなかれ。二に、帰は敬順の義、命は諸仏の教命なり。     〔起信論義記 上〕
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:帰命とは、命をもって十方諸仏に帰投するなり。     〔法華嘉祥疏4〕
  
 
===帰命頂礼===
 
===帰命頂礼===

2006年5月19日 (金) 08:15時点における版

帰命

(sanskrit) namas नमस्、namaH नमः、namo नमो。音写で「南無」。訳は「命」。

3つの義がある。

  1. 身命を仏に帰趣する義
  2. 仏の教命帰順する義
  3. 命根を一心の本元に還帰する義

総じて信心の至極を表する言葉である。

内の正報の中、命根を要とする。故に要命を挙げて、かの三宝に属す。これを名づけて帰とする。     〔起信論浄影疏 上〕
帰とは趣向の義、命とはいわく己身の性命なり。生霊の重きところ、これより先になすことなかれ。二に、帰は敬順の義、命は諸仏の教命なり。     〔起信論義記 上〕
帰命とは、命をもって十方諸仏に帰投するなり。     〔法華嘉祥疏4〕

帰命頂礼

「きみょう・ちょうらい」 頂礼とは、神仏の足をみずからの頂上にいただいて礼拝するもの。この帰命は意業の礼拝であり、頂礼は身業の礼拝である。

帰命合掌

「きみょう・がっしょう」 十二合掌の一つ。礼拝のとき、左右の手を合わせて十指を交差するのを帰命合掌といい、金剛合掌のことである。