「しゃべつ」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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[[さとり]]の上からは差別の見は捨てられるが、衆生の目は「相」を見るしかないので、差別があるとする。完全に区別を離れて平等であると見るならば、それは悪平等と言われる。<br> | [[さとり]]の上からは差別の見は捨てられるが、衆生の目は「相」を見るしかないので、差別があるとする。完全に区別を離れて平等であると見るならば、それは悪平等と言われる。<br> |
2014年5月27日 (火) 14:53時点における版
差別
しゃべつ、「シャ」は「差」の呉音。古くには日本での音も「しゃべつ」であった。漢音では「さべつ」。
区別、相違という意味。
現象世界のすべてが区々別々であり、多様なものとして存在していること。
すべての存在現象(法)は相互に縁起することによって成り立っているところから、万法が一如であるとする見方がある。それに対して、存在現象はあくまでも個々それぞれ独自であり、異なる相を持っていることから、差別があるとするのである。
さとりの上からは差別の見は捨てられるが、衆生の目は「相」を見るしかないので、差別があるとする。完全に区別を離れて平等であると見るならば、それは悪平等と言われる。
菩薩の修行によって、自利利他の差別相を超えて、初めて円満な平等に達することができるとする。
- 社会学でいう「差別(さべつ)」とは基本的に異なった意味であるから、注意が必要である。